ちまきの会報告書~11月27日~

IMG00172.jpgIMG00175.jpgおそばせながら、11月27日(火)にもちまきの会やってきました!
前回に引き続き、伝えることについてもんもんと考えてきました。
前回は、人が伝えることを原始的に仮想(?)してもんもんとしていたのですが、今度はもう少し文字をつかった伝達に絞って考えてみることにしました。
どうやって文字を書くようになったのかをぐだぐだと話しあっているうちにどうしても文字を書くことが「後世に残す」のが目的の手段だととらえるなら造形や絵のほうにいってしまうような…。と考えが進み、文字を書くことはやはりものすごく面倒なことだと思いました。
文字はいったいなんのために生まれたのかが今一よくわかりません。
たぶん人がこんにゃくを食べはじめたのと同じ系統の謎です。
両者ともたぶんきっかけとなった何かがあるはずなのですが…。
話し合いに飽きてきた頃に今度は漢字のはじまりから文字の生まれを探ってまたちょっと違うアプローチで考えてみることに。
それぞれの国で文字の成り立ちは色々ありますが、とりあえず親い漢字の成り立ち。実は中国の神話に漢字を一番最初につくった人の伝説があって、ざっくりご説明しますと、王朝が成立したての時代の中国にソウケツさんという頭が良くて目が四つある優秀な官僚がいて、その人が砂浜に残った鳥のあしあとをみてそれを書くことにより、鳥のことを表せると気づいて、それが漢字のはじまりで、漢字の概念を発見した際には空から穀物が降り、夜な夜な鬼が哭いたそうな。というお話。
とりあえずどうやったら伝説どうりになるのかソウケツさんとそのまわりの人々になって考えてみることにしました。
写真は紙に鳥のあしをかいて並べたりしながら実際動いて考えているところです。ソウケツさんの顔も描きました。
でも大のおとな(と、想定)が砂浜にわざわざ鳥のあしあとを書くシュチュエーションがわからない!
子どもや無邪気な感じならいけそうだけど、なんだか腑に落ちない…。みたいなループにはまり、
そのあとの「穀物が降り、夜な夜な鬼が哭く」という部分はくそまじめな解釈をして、「作物がたくさんできるようになり、国が豊かになる。」「鬼は敵にあたる異民族、外人。国が豊かになったのでまわりの敵が泣いたのだ。」ということにして、こちらも漢字がそのような利益を生むにはどう利用されていったのかを再現しながら考えていきました。
漢字がシンボルにつかわれ紙幣や証書に有効説、漢字の美術的価値が金銭であつかわれるようになった説、漢字の美的価値を霊的な価値としてシンボリックにあつかったところたまたま国が栄えた説。色々意見がでましたがこの話の途中でお時間となりました。
今回は話し合いがメインになってしまいましたが、ちょっとづつ何かに近づいているような気もしたりして、こういうことを全力で話し合ってくれた参加メンバーに感謝しつつ。もう少しこの根本的なもやもやを考えたいと思っております。
次回はとりあえず公開稽古という名に変えて12月中に週2回くらいのペースでやっていく予定です。
内容はちまきの会の延長ですので一緒に考えてくれるかたは随時募集中です。
金谷

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