藤原道綱

さあ。稽古日数も片手で数えられるほどになってしまいました。
鬼の台本改訂で終わらない戦いが私も役者陣も続いております。

今日帰り道にふと思ったのが、私、大人数でつくるとやっぱりサッカーみたいになる。
以前からサッカーに例えることは多々あったのだけど。

もう10回も作・演出でやってはいるのだがずっと全然しっくりこないし、
監督のほうがしっくりくるわむしろ。

今回は何となくピカソのキュビズム時代の絵のイメージがずっとあったんだけど、ちがうのかしら?
もうすこし気持ちのよい所じゃないところにはいらなければならぬ。

脳内のメモでした。

では。今夜の『大鏡』について。たぶん本番はいってからも地味に続くかもしれません。

前回は道長さんのお兄さん、「藤原道兼」をご紹介しました。
原作も、こちらの『大鏡』も道兼さんは活躍中です。
しかし、歴史の流れからいうと、ご長男の道隆さんの方が活躍します。

今日は兄弟の中で一番活躍しない方をご紹介。というか、私は、道長さんのご兄弟の中で断トツで彼推し!
「藤原道綱」さん。道長さんご一家の次男坊です。

前回ご説明した通り、道長さんの三兄弟(道隆・道兼・道長)とは、母親が違いますが、彼は、道長さんと一番仲の良いご兄弟でした。
歳もわりと離れていたと思いますが、仲良し。

現在では、むしろ、彼のお母さんの方が有名かもしれません。名前が残っていないので、「藤原道綱母」といまでは呼ばれる方。
彼女は『蜻蛉日記』という日記文学の作者で超有名な方です。歌が上手く、当時から才女・美人(平安美人のお一人!)と名声が高かった女性なんです。
道綱さんはそのお母さんのおかげで有名になったといっても過言ではないような。

『蜻蛉日記』は、道長さんと道綱さんのお父さん、兼家さんと、道綱のお母さんの恋愛?を書いた本です。
基本は日記みたいに今日あった出来事を書いているのですが、一つ一つがとってもドラマチックで、恋愛小説のようです。
道綱さんも、『蜻蛉日記』には良く登場します。『蜻蛉日記』は恋愛の側面で語られることが多いですが、道綱の成長日記みたいな側面もあります。
むしろそこがぐっときます。
有名なのは鷹の話ですかね。
堀辰雄の『かげろうの日記』は短いし、よみやすいですよ。青空文庫でも読めます。以下、有名な鷹の部分抜粋↓

この頃まるっきりあの方のお見えにならない私の家のものといったら、まあ、こんな軒端の苗までも私の真似をして物思いをする見たいだなどと、又してもそんな事を考え出していると、そこへあの方から珍らしく御文があった。
「いくらこちらから文をやっても返事がないので、はしたなく思われそうだから遠慮をしていた。今日でも伺いたいと思うが――」
などと書いてある。御返事は上げまいと思ったが、側の者たちにかれこれ言われて、私はやっとそれを書いて持たせてやった。それからすぐ日が暮れた。まだそれが往きつかないだろうと思う時分に、あの方が往きちがいにお出になってしまった。皆に
「何かわけがあおりなのかも知れません。何気ないようにして御様子をごらんなさいませ」
などと言われて、私も少し気をつけていた。が、あの方は
「物忌ものいみばかり続いていたのだ。もう来まいなどとおれが思うものか。どうもお前がすぐそうひがむのが、おれにはおかしい位だ」
などといかにも裏もなさそうに仰ゃるので、こちらも何だか気の抜けてしまう位だった。
「明日は用事があるから、又明後日でも――」
などと仰ゃって帰って往かれたけれど、私もそれを本気にはしないものの、若もしかしたらと思い返えしているうちに、だんだん日数が過ぎて往くばかりだった。
やはりそうだったのかと気がつくにつけ、前よりも一そう心憂く思われて、相変らず自分の思いつづけている事といったら、仏にお祈りしてでも何とかして死にたいものだと云うような事ばかりだったが、あとに一人残る道綱のことを考えると、それも出来そうもないのだった。
「お前が早く成人して、安心の往けるような妻などに預けてしまえたら、どんなに好いだろうに。いま、わたしが死んだら、どんな思いをしてお前が一人でさすらう事だろうと思えば、ほんとうに死ぬのも死ににくい。まあ、形かたちでもかえて、世を離れたらと思うのだけれど――」
と私が独言でも言うように言っていると、まだ深くは何もわからぬらしいが、あの子も悲しそうに
「そうおなりになったら、まろも法師になりとうございます。この世に交わって居りましても、何になるでしょう」
と言いながら、目に涙を一ぱい溜めている。私はそれを見ると、やっと気を取りなおしながら、いまの話を常談にしてしまおうとして、
「そうなって鷹も飼えなくなられたら、どうしますか」
と言うと、道綱はいきなり立ち上って往って、自分の飼っていた鷹を籠かごから出して矢のように放してしまった。
それを傍で見ていたもので泣き出さないものはなかった。

なかなか、会いに来ない兼家さんをおもう感じもうっとうしいくらいせつないですが、
道綱さんがとてもお母さん想いのいい子です。
もう少し大人になると、兼家さんとお母さんの仲を取り持つためにいろいろと気を使う彼が見れます。それがとても切ない。
『蜻蛉日記』の道綱は良く泣きます。幼いときの描写が多いからでしょうか。いや、成人しても結構泣いてた気がする。

こんなにお母さんおもいの子だったのかはわかりませんが、結構お母さんにはべったりだったよう。というか、お母さんの方も、一人息子なのでめちゃくちゃかわいがっていたよう。
有名人のお父さんとお母さんをもった彼はハイクラスのボンボンです。や、道長さんもなんですが。
でもそのせいなのか、なんなのか。道綱さんは、他の兄弟と比べて、仕事の方は全然できなかったと言われております。自分の名前しか字が書けないとか言われております。
書く必要がないくらいのボンボンなわけですね。
しかし、道長さんがトップに立ってからは、たかったのか、道長のほうからお願いしたのかわかりませんが、けっこう良い地位を手に入れたりするちゃっかりものでもあります。

私は、個人的に、『続古事談』ってやつのだったかな?道綱の砂金のお話がとても好き。道長の孫の後一条帝のお世話係みたいなのを道綱がやっていた時のはなし。
短いのでざっくりしたやつをのせちゃおう!↓

後一条天皇がまだ幼少の皇太子であったころ、守り役の大納言 藤原道綱が御前に伺候して申し上げた。
「百両の金を投げ散らしたのを、ご覧になったことがありますか。たいへん結構な見ものでございますよ」
「見たことがない。どんなものか」
「まことに面白いものです。ご覧になるとよいでしょう」
道綱は下役の者に、
「納殿(おさめどの)の砂金百両をお持ちしろ」
と命じた。

届けられた砂金の袋を引き開けて、御前に投げ散らしたが、皇太子はがっかりした様子だった。
「どこが面白いのだ。全然つまらない」
「あ、そうですか。残念。では、こんなものは捨てましょう」
道綱は、砂金を回収してふところに入れると、そのまま退出したという。

ちゃっかりー!
私は、道長さんのご兄弟の中では彼が一番好き。

そんな道綱さんを担当しますのが深野賢一氏

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われらがけんちゃん!青ねりではとてもよくお世話になっている方です。
すごくやさしくて、サービスマンなので、楽しいことをどんどんやってくれるおにいさん。稽古場では皆、彼のおかげで笑っていられます。じつはいつも尊敬しています。そういう人に私もなりたい。
しかし、彼が意外と身と心を削ってそれを提供してくれていることを誰も知らなかったりするので、削れ過ぎると引きこもってしまいます。
今回引きこもり中にお声がけして、一度断られたのですが、くそやさしいのでやっぱり出演して下さいました。
彼の優しさに便乗して私もいろいろ頼ってしまうことを反省しつつ、削れていく彼はなんつーかすごく生々しく美しかったりするので、ジレンマ!
(なんか、でも、そういうハートの使い方の方はおおむね技術力が嫌がおうにも高くなっちゃうんだと思ってる。彼もふとした瞬間に核心をついてきたりしてたまにびっくりする。)
あとちゃんとしたスケベです。そういうところも含めてみんなけんちゃんのことが好きなんだと思うのですが、ちゃびぃさんとはまた違った方向で、それを一向に信じてくれません。

信じてよ!なんて!軽くは言えないよね!
『大鏡』もうすぐです。
HPのトップより、専用予約フォームがございます。最終日がそろそろ売り止めになりそうです!
ご予約お待ちしております。

では、まだまだやることはたくさん!
でも、できるだけはやめにおやすみなさいね!明日は土曜日。

金谷

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