『遠野物語』についてその5 「金田一さんと石川さん」

最近のことを箇条書きで報告いたします。
・自分の力の無さに泣きながら、演出むいてねえなあと思いながら毎日帰路につきます。
・役者さんらが隙あらばモノマネを入れてきます。
・常に、「大事なことを忘れているんじゃないか」と思い続けています。
・サッカーの監督みたいな気分です。だからたぶん演出していないんじゃないかと思います。
・岩手のコンピレーションアルバムみたくなりたいです。トラックをかっこよく編成したい。
・でもまだそんなに追い詰められていない気がする。大事なものを失ったか、大人になったかのどちらかです。
・みんなをころしてわたしもしぬ!ってヤンデレな気持ちが抑えきれない。
・役者さんらがみんな笑っていてくれます。何がそんなに楽しいのかな?とたまにふと思います。

以上です!

今晩も遠野物語遠野物語。

ありがたいことに、お席がだんだん埋まってきております。
今回、一回の公演の客席数が少な目です。(なので、9回公演といつもより多めの回数です。)
ご希望のお日にちが決まりましたら、是非お早めにご予約ください。まだまだご来場お待ちしております。

さて、少しでも公演のやくに立てばと思って深夜に書き続けている遠野物語についてですが、深夜なので文章が荒いことこの上ない。本番前だともっとひどいことになるかもと思いますがおゆるしください。

さて、さて、
皆様は9月号の文藝春秋はもう手に入れられましたでしょうか。
今話題の芥川賞受賞作が掲載されている号です。
ものすごく売れているみたいですね。すごい。でも私がほしいのは特装版の方。
特装版の方も同時発売だったのですよ。特装版は通常のものに、ムックがついております。今回は芥川龍之介追悼号の復刻版だそうです。すごいな!そりゃ売れるよ!

完全にこちらで頭がいっぱいで、発売日を逃しました。
どうにかして手に入れたいと思います。

芥川龍之介の追悼号はもちろん親友の菊池寛が編集したものですが、そちらに実は柳田さんの寄稿も載っています。
芥川さんも実は『遠野物語』ファン(?)で、『遠野物語』が出版され、手に入れたときにこれめっちゃ面白いよ!とお友達に手紙を書いたりしていたり。

芥川さんも怪談とか妖怪とか、そういうのがお好きなタイプ。売れっ子作家になってから、柳田さんと知り合いになります。
(またね、柳田さんがはじめて芥川さんと知り合ったときのことを書いている文章があるんですけど、それがね、なんかとても私は好きなんですね。追悼号にのってるのかな?)

そんなつながりで、鏡花さんとも芥川さんはお知り合いです。もちろん。
年齢的には、鏡花さんが柳田さんの2~3つくらい上、柳田さんは芥川さんより、15~17つくらい年上です。下手したら親子くらい年齢差がある人たちですが、芥川さんは自殺により若くしてお亡くなりになります。
当時、芥川さんの死は世間に大きな影響を与えましたが、柳田さんたちにも同じように衝撃を与えたようです。

そんなわけで。作家さんの方ではこんな風に芋づる式に色々つながりが出てきてウハウハですが、もう少し民俗学の学者さん経由でご紹介したい方が一人。

金田一京助さんという方です。字面は見たことある人が多いんじゃないでしょうか。辞書で。

ウィキさんではこんな感じ↓

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 –
1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。アイヌ語の研究で有名で、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。

ほら!名探偵じゃねえよ!あの金田一は架空の人たちだよ!
横溝正史さんの小説のキャラクター「金田一耕助」はこの人からとったとかなんとか。(その金田一耕助の孫という設定のやつが「金田一一」な。「金田一少年」な。)

名探偵の金田一たちの前はこの人が一番有名な金田一だったはずです。

しかし、こちらは名探偵ではなく、言語学者の方。なので、辞書の人。たぶんいろんな国語辞典に彼の名前が載っていて、私はそれで彼のことを知りました。なので辞書の人だと思っていました。でも実際に辞書の編纂に関わったものは少なく、お名前を貸しただけだったみたい。
主なフィールドは、アイヌ語の研究です。

もちろん、同業者なので柳田さんとはお知り合いです。

そのアイヌ語の研究がまたすごいんだけど、それはまあ、おいといて。
金田一さんといえば、岩手の盛岡出身者としても有名です。
(岩手には本当にいろんな方がいます。やばい!アツい!)

でもって、この方は、石川啄木のお友達としても有名なんじゃないでしょうか。

石川啄木は、あの石川啄木です。

こちらは大辞林からどぞ!↓

石川啄木(いしかわたくぼく)
(1886~1912)
歌人・詩人。岩手県生まれ。本名,一(はじめ)。与謝野鉄幹の知遇を得て明星派の詩人として出発。貧困と孤独にさいなまれながら明治末の「時代閉塞」に鋭く感応し,社会主義的傾向へ進むが,肺結核で夭折(ようせつ)。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」,詩集「呼子と口笛」,評論「時代閉塞の現状」など。

ね。あの石川啄木。歌人で有名な方ですね、「はたらけど・・・」の短歌とかは覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。岩手の天才児ですよ。
(どうして岩手には天才しかいないんでしょうか。もうこわい。)

石川さんは貧困の中で詠んだ生活的な歌の作品が有名ですが、学生時代のことを詠んださわやかな歌も、近年のサブカル若者の人々の心をつかんではなしません。
私も一時すごくはまりました。今はちょっと距離をおいて読めるようになった。じっくり読むと少しこそばゆいような、恥ずかしいような、懐かしいような作品群は若き日の私にぴったりだったのです。で、これが私だけのじゃなくだいたいのやつにぴったりくるからやはり石川さんは天才児。なのですが、

そんな彼に歌を教えたのが金田一さんでした。

二人は学校の先輩後輩で、石川さんが後輩。金田一さんが先輩です。歌に興味をもっていた石川さんが、金田一さんに文芸雑誌を借りに行ったのが仲良くなるきっかけだったようです。二人とも10代の中学生時代のことです。

金田一さんは最初、こんな小さな子に歌なんてわかるのかしら?とかなんとか思っていたらしい。(石川さんは背が低めで童顔気味なので、同級生よりも幼く見えたらしい。)

でも一緒に歌作ったりしながら教えていたら石川さんはメキメキと才能を発揮し…
なんて、もうどんなマンガだよってくらいな話ですが、本当らしいです。

こんなエピソードが残っているのも、実は金田一さんのおかげ。

金田一さんが書いた『石川啄木』(角川文庫)では、親友・石川啄木のことがたっぷり愛をこめて書いてありますのでぜひ。

でも、私個人的には。金田一さんのすごさ(やばさ)はそういうところに実はあると思っていて、
なんというか、どうにも優しすぎる。
実は、辞書のお名前を貸したのも優しすぎて断れなかったのだとか。
文章を読んでいるとなんでこんな優しいんだろう?みたいに疑問になるほど優しいです。
あともうなんか、石川さんの借金周りの話はもう…もう…。

この人も、マンガかよ!ってくらいの人だと思っている。

あっ。なんか紹介だけになって、『遠野物語』からはなれている気がしますが、金田一さんも柳田さん経由で佐々木さんに会ったことがあったり、そもそも岩手とか東北とかはアイヌとは切ってもきれない関係。わかりやすいのは土地の名前とかですかね。
遠野にも、アイヌ語由来といわれる地名がたくさんあります。そういうのもひっくるめて、金田一さんの研究対象であるということはもちろん。柳田さんも言語に関しては非常に積極的に研究なさっていた方。お二人の研究者としての活動の芯には結構似たものがあるんじゃないかと勝手に思っています…。

そうそう、実は石川さんも佐々木さんとは知り合いだよ!
佐々木さんが石川さんのことを書いた文章がまたなんか個人的にいいなとおもっているのだが…手元にないのでまた今度。

あああでも金田一さんのアイヌの研究回りもとても面白いんですよ。
いつかなにかしらでやりたいなってくらい。
何よりアイヌ語はやはり面白い。言葉は面白い。

ではここで私が最近読んでる北海道版遠野物語(?)金田一さんの教え子の知里真志保さん著の『えぞおばけ列伝』からお化けを一つご紹介してそろそろおしまいにしたいと思います。

↓↓

1.へっぴりおばけ

屋内に独りいると突然炉の中でポアと音を発する.するとあちらでもポア,こちらでもポアとさいげんがない.臭くてかなわない.そういう際には,こっちでも負けずにポアと放してやれば,恐れ入って退散する.あいにくと臭いのが間に合わぬときは,ポアと口真似するだけでも退散するというから,このおばけ案外に気はやさしいのかもしれぬ.名は「オッケオヤシ」(屁っぴりおばけ),または「オッケルイペ」(屁っこき野郎)という.

↓↓

この本の一番最初に載ってるおばけがこれです。くそかわいい。恐れ入ってってなんだよ。
遠野だけじゃなく、おばけはたくさんいるんだな。
今回のお芝居も、かわいいお化けみたいなのいっぱいでてます。お楽しみに。

image

お化けイエーイ。

金谷

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