授業企画について その1
あっという間に八月。
梅雨もやっと明けて、暑い日が続きますね。いかがお過ごしでしょうか。
青山ねりもの協会はこのまえ久しぶりにちまきの会をおこないました。
また新しいゲームを生み出しました。ちまきの会はまた8月9月にもあります。
そして、八月!八月はですね!
青山ねりもの協会は今年は企画を行うことになりまして、
『夏の終わりの羅生門』というのをやります。芥川龍之介の『羅生門』の授業をしてから、『羅生門』を読んでみよう!という企画です。19日(金)、20日(土)、21日(日)の三日連続企画です。(詳細はHPトップページからぜひ!)
まだまだ参加者募集中です。
今日はまだ迷っているわという方の為に、色々書いてみます。
まず、この企画の『授業』とは?って感じの方もおられるだろうし、堅苦しいのはちょっと…と、お思いの方も多いかと思います。
金谷は普段、高校生に国語を教えていたりします。ので、基本的には、高校生と普段やる授業とおんなじような感じになると思います。
なので、そんなに専門的なことをやるような『授業』ではございません。
そしてもちろん、「学校」ではないので、
勉強でなくても、ただ人との交流を目的に来てもいいし、学生時代のノスタルジィに浸りたいのでもいいし、つまらなくなったら寝ちゃってもいいし、逆に、「芥川大好き!もっと専門的なこと教えて!」とかはもしかしたらあなたの方が知っている可能性があるし、むしろその場合はガンガン教えていただきたいと思っています。
前回、夏目漱石の『こころ』をやってみたときには、最初全然ノリ気でなかった平澤さんが「意外と楽しかった」との感想を残しています。
参加すると意外と楽しいかもしれません。
また、今回は、授業をやった後、『羅生門』のリーディングというか、朗読というか、演劇を参加者みんなで作りたいと思っています。
こちらもまた、私や他の青山ねりもの協会の人達がガンガン演出をつけたりとか、素晴らしく演技力が上がるレッスンをするようなことはありません。
ただただ、一途に、『読むこと』について考えたり、いい感じだったら褒めたり、なんか違かったら、さらに良くするにはどうするか意見を交換し合ったりします。
話すのが苦手…とかでも大丈夫です。こちらも苦手なので苦手なりに探り合いましょう。
地味だけどじわじわと楽しい3日間になればと考えています。
ぜひ、私たちとじわじわと遊んでください。
さて、企画が始まる前に中身の芥川龍之介や『羅生門』についても少しだけ書こうと思います。
そういえば、7月24日は芥川の命日でしたね。
芥川の命日は「河童忌」と呼ばれています。『河童』という作品を残していることからそのような名がついています。
河童といえば、ほかに、芥川さんは落書きの絵がたくさん残っているので、黒い河童の絵をどこかで見たことがある人もいると思います。河童の絵はよく書いていたみたいですよ。
ちなみに太宰は「桜桃忌」(サクランボのことですね。)こちらも同じく『桜桃』という作品の名前から来ています。いつかの桜桃忌に太宰の墓前にサクランボが供えられているのを見たことがあります…。芥川の河童忌は…きゅうり供えるのでしょうか…。それは…普通にお盆ですね…。
(作家の業績を偲ぶ日として文学忌は色々あります。調べてみると面白いです。)
芥川龍之介と言えば説明もいらぬほど有名な方ですが、改めて調べるとそうだったんだと思うことがたくさんあります。
芥川さん自体についての資料はもう山ほどあります。当時の文壇周りの方々、芸術方面の方々、いろんな人が、いろんな言葉で芥川のことを残してくれています。それだけ、影響力のあった方だったんだと思います。
そして、その死が自殺というものも、影響していたと思います。
当時芥川の自殺がどれだけショッキングなことだったか、色々な資料から見ることができます。
色んな人の芥川についての文章を読んでいると、たいていの方が、思い出話、芥川が死んでからの文章なので、なんだか悲しくなってくる。(と同時に、書き手の思い出補正とか癖みたいなものも入ってきているんだろうなとおもうと面白いな、とも思います。)
私の一番手元にあったのが内田百閒の芥川についての文章。
内田百閒は芥川さんと仲良しの作家さんです。随筆家のほうが有名でしょうか。
芥川が書いたぐるぐる百鬼園先生の絵は有名ですね。最近の新潮文庫の百鬼園随筆のカバーに使われているアレですよ。アレ。
私は芥川の絵の中でもこの絵は抜群に好きです。たしか「百閒先生邂逅百閒先生図」って名前がついていたような。
落書きで書いたものを百閒先生が気に入ってもらったんだとかなんとか聞いたことがあるようなないような。(調べてみます。)
百閒先生は何事にもシンプルに、愛に溢れた文章を書くなあと個人的には思っているのですが。
芥川の死後、芥川の全集が出るときの百閒先生の推薦文をまずご紹介します。
「推薦文の中に、自分の事を述べるのは、無遠慮で申し訳ないが、私の文章を最初から、顧る人のなかつた時にほめて、励ましてくれたのは、芥川君である。私の文業を十五六年の昔から、読書人の記憶の一隅に、明滅する燈火の如く点じて置いてくれたのは、芥川君である。この頃になつて、私に文章が多少世人の理解と鑑賞を享ける様になつて、最初に思ふことは、芥川の既にゐないことである。私はどう云ふ方法によつて、この事を芥川に知らす可きか思い煩ふ。…」
(昭和九年「芥川龍之介全集」推薦文より)
もう、これだけで泣いちゃう。私。
百閒が芥川、芥川、と呼んでいるのは、単純に年上なのと、実際二人は友人ですが、夏目漱石門下(というか、なんというか)の先輩後輩みたいな間柄でもあったためです。
(どこかでもご紹介した記憶がありますが、当時の大作家、夏目漱石先生はヒット作を出してから、家に人が集まるようになって、あまりにもいっぱい来るので、面会日を木曜日にしたことから、文学の人たちが主に集まる「木曜会」が生まれました。いわゆるサロンみたいな感じ?
時代によって出入りの合った人は変わってゆきますが、そうやって漱石先生のもとに集まって、文学のことについて話したり、色々学び合ったりしていた人たちを「漱石門下」「漱石の弟子たち」と呼ぶことがあります。漱石先生自体は、そういう呼び方はあまりお好きではない。芥川も、漱石先生のもとに集まった作家の一人でした。)
百閒先生は、芥川が自殺する二日前に会っていたみたいです。その時の芥川は麻薬のせいでべろべろしていて、変な芥川だったと残しています。
百閒先生のだけでも芥川に関して色々書いた文章がたくさん残っています。
もう一つ、『亀鳴くや』という随筆から抜粋。
「…芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息ができない様であつた。余りに暑いので死んでしまったのだと考へ、又それでいいのだと思つた。原因や理由はいろいろあつても、それはそれで、矢つ張り非常な暑さであつたから、芥川は死んでしまつた。…」
夏になると、コントラストがはっきりして「死」というものも感じ方が違ってくるような感じがあります。(私には)
芥川の死のセンセーショナルな感じはいまだに付きまとう感じがありますし、高校生とか若い方に芥川のことを伝えるとそこだけが残ってしまうこともしばしばです。
あのひとは誰かの友人だったこととか、夏の日に、人が死んだということとか。そういうところをゆっくり考えると、人としての芥川さんも見えてくるのかなと、思います。
うまく、色々紹介できなくてすみません。
とりあえず、長くなってしまったので、今日はこれまで。
金谷
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『夏の終わりの羅生門』企画へのお申込みはメールにて受付中です。
info@aoneri.com
(参加希望の方は、件名に、「授業企画申し込み」と明記のうえ、本文に、①氏名(ふりがな)②アドレス③電話番号④参加予定日を書いて下記アドレスまでお申し込みください。)
企画の詳細についてはこちらから!↓
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