おしまいから次へと

渡辺美帆子事務所『サよりよろしくバー』東京公演も昨日千秋楽を迎えました。演出の美帆子ちゃんに妖怪呼ばわりされて本望です。関わってくださった全ての皆様に感謝と祝福を。ハレルゥヤ!
今日は久しぶりにちゃんと寝て、夕方からはまた次の稽古にいってまいりました。インターバルの短さに老いた私はついていけるのか。ぐう。ついていかなきゃ駄目だろって。幸せなんだからわがまま言うな。
以下メモリアル↓
富山と東京と。テネシー・ウィリアムズの『バーサよろしく』という作品と向き合って、もう。なんかね。色々と。
思えば大学入って初めて大学で出会った方々と創った作品も『バーサよりよろしく』で、あのときはバーサ役だったなあ。
富山の利賀の土地はなんだかやはり手に負えなくて、なんだろう。あの場所と仲良くなるにはやはり長い長い時間が必要で。
言うなればものすごい年上の方とお話をするようで、ずっとそばにいないとその長い長い歴史(?)を聞けなくて、わあああ。泣いちゃう。あんな短い間じゃあどうやったって可愛がられるか相手にされないかのどちらかで。ならば殺してしまおうという考え方は利賀ルール的にNGだし。そこに立つのさえ難しい感覚。初めてでした。参ったなあ。経験に勝るものはない。でも感性とかそういうものが向こうの場所がもつ歴史に何かしら響くことがあるんだよなあ。とも、思う。そう、だから場所自体が生き物だから生き物との向き合い方なのだよ全てが全て。魂を磨かねばと思いました普通に。魂磨いて響く感性。生き物としてのレベル。人間はいつだって最低レベルだね。
東京は東京でなんとまあ。面白かったと思うのね。素敵な作品だったのよ。本当に。でもね。人が創るってことは絶対に忘れたくなくて、その人がいるから作品があると思っていて、私はやはり人をどうしたって大事にしたくなる。批判とかじゃなく。もうずいぶんと前からこういうことをぐるぐる考えいる。
作者も登場人物も演出も役者もスタッフもお客さんもみんな人だけど。同じタイムラインにいる人は限られていて、やっぱり私は私と同じタイムライン上にいる人が一番大事で奇跡と思っているのね。恥ずかしいけどもね。
そんな私はやっぱり甘いし、普通に駄目なんだけど。アイデンティティの喪失からは結局なにもうまれないんじゃないのか。とも思ったり、そんなものの喪失はすでに周知の事実でそこからの進化が今問われているんだよ。とも思ったり。
本当の意味での芸術至上主義にはそりゃ憧れる。
地獄変?芥川?しかし今の私はやっぱり太宰の方が好き。
ちなみに今回の役はリスペクト金閣寺で。
私に近くて遠いのでこまっちゃった。涙が出ないの。
私の色々は結局なにもかも中途半端に終わった気がして悔し涙ならいつでも流せるよ。
いつまでたっても駄目だから向いてないのかもしれない。あたい、演劇のことあいしているのにー向いてたいー見合いたいのーぐえーいつもそんな感じだよ結局。
気持ち悪いメモとりあえずおしまい。
金谷

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