オロロー

オロロの話を聞いて悲しくなったり、メソッドのお話を聞いて悲しくなったり、身体を動かして悲しくなったりしました。結果悲しくなったので。メモ。
でも、悲しんでいるのは動物としては全く間違いで、悲しいとか痛いとか辛いとかじゃないんだなあ。本当はね。
死なないようにするってことは生きることだものなあ。素晴らしいことだよなあ。
しかしそこを悲しみ始めたのが人間じゃないのかとも思ってみたり。
羅生門思い出した。
動かない身体は死ぬしかないみたい。
死ぬぐらいだったら上手くやろうと思ったなあ。私はやはり。
で、身体が動かない分脳みそを動かそうと思ったなあ。
いやいやそもそも死んでいるっているのも死んでいるという運動なわけで?
でもそれは屁理屈でああゆうのを生きるのには駄目だったわけで、
感じて一番に動くのは、脳みそであって身体じゃないのはそうなんだけど?
だからきっと一番重要なのは脊椎が重要なんじゃないかと思った!
ダイレクトな脊椎反応。反応の失敗はダイレクトに死ぬということ。絶望。
子どもにかえることでもあるのだな。一つ一つに絶望しなければならないのだな。なるほどな。
あ、素直な絶望と、非素直な絶望があるな。きっと。ん?
いや、脊椎。脊椎。
だって背筋ピンとしてんもんな。
考える(感じる)脊椎なのか、伝達の早い脳なのか。
物差しがよくわかんなかったな。何故そこで物差しにした?物差しにするべきものじゃなくないか?物じゃねえじゃんか?後付けか?飛躍か?
人を均一にするのは不可能だ。近づけるだけなんて、そこまでいったら物足りないだろうにな。殺してまでも完璧にしたくて泣いちゃうな。むっしゃむっしゃに跡形もなくして新しいのつくり続けるか、むっしゃむっしゃ食べちゃうな。どちらにせよ悲しみだな。となると遺志すらも悲しいんだろうなあ。
そんなんだったらもう、人であることを楽しみたくなっちゃう?あなたとあなたとあなたと私は敵ではなくてあくまで他人よって。愛も危害もないわよって?で、こんなに違うけどおんなじような形をしているから、もしやどこかで完璧だったのかもしれないね。悲しいけど嬉しいね。そこからの反応じゃなくて、個々の夢想があくまでグレイトなものだとしていたのだけど、夢想って早くないじゃん。むそう。ゆっくりじゃん。?
まあ、甘いのか。激甘いのか。馬鹿なのか。うーん。無知であることはたしか。
うーん。だ。このメモすげーきもちわるい!
だっつ
金谷

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