気持ち悪いメモ

『侵略1/4』おわったので気持ち悪いメモ。
多重世界と情報処理!
おそらく私がここ数年で演劇で考えていたこと。
何だか、もうすでにみんなが考え終わったことを私は一所懸命考えているらしい。トロいからね。馬鹿だからね。もー。それで役者さんまで馬鹿にしちゃいけないのはわかっているのだけど;
些細なことでリンク世界や、重なる(類似する)世界が楽しいのは私だけなのか…。
きっとだからなに?なんだろうな。
だからなに?の部分をもっと突き詰めないと駄目かやはり。
でも今回はきっとそういう表現?の一つの答えでもあったきがする。単純化ってやはりすごく大事。で、今回私の使ったのがミュージカル構成。(似非である。)
アメリカ・インディアンとか若草物語とか、マイナーな素材を扱う時も、ある程度わかりやすくしないとならない。そこで、今回とった手段がミュージカルなんじゃないのか。うーん。まあ酷く下手くそだったけどね。
しかし、アメリカ・インディアンが歌文化だったから思い切ってぶっこめたわけで、ほかのだったら無理だったろうな。恥ずかしくてしぬ。今回ギリギリ。
くやしいのはやはり、単純化の手段がミュージカルだということ。ミュージカル構成って本当に便利だし、私きっとそういうの得意。もちろんミュージカルは単純じゃないことは百も承知なんだけど、多分私が言ってる単純ってのは表出するチープさのことだ。
今回はたまたまそのチープさと相性がよかった。役者の演技質も含め。
情報をめいいっぱいつめこんでも破綻しない世界ってきっとミュージカルみたいな世界構成が一つの例。大きな感情が歌うから表出しようとする小さな感情は抑圧される。そのフラストレーション?でマクロがさらにおおきくなる。そんなマクロな感情で繋いでいく世界!
でも、私の仕掛けるものっていつでもギリギリの小さな感情に宿るからうーん。ミクロがみえないといやだろうな。
結果やはりマクロだったわーってなった感じが今回許せないのです。くやしいのです。駄目だと思うのです。
いや、でもマクロにミクロいっぱい仕掛ける作業も楽しかったけどさ。誰も気づかないやつがいっぱい。詩の歴史とかね。気づいてほしいわけじゃないんだけど。
でもやはり、大事なのがそこにある気がするのも事実。しかし気づかせるのもどうかと思う!
レイヤーを重ねるみたいに作ってたんです今回。レイヤー=世界って感じ。そういう仕掛けって絵画なら成立するが演劇じゃやはり無理かー。時間流れてやがるくそー。
や、ちがう。そうするのに明確な目的がないんだわ。そうじゃないと成立しないんだそもそも。そうするにはたとえば生命の危機とかアイデンティティの危機とかを切実感じている時点じゃないと。
や、でも一つの正解ではあった。これは本当。きっと。
そしてこういうのには演劇のダサさがものすごくやくにたつ。恥ずかしいほどに演劇ダサさをいれてった。いれてないの「その場で走る」ぐらい。「その場で走る」はいつか絶対やる!ベタは強い。
だからこそ今回は結局そっちによったから、もっとバランスとる力が必要なんだ。
演劇ダサさを馬鹿にする部分をもっとちゃんとつくらなければならない。愛しているならやらねばならない。だからそれがコントなんだって!馬鹿だなあ!もー!イライラする!
で、先人たちがつくった手法は大事にしたい。滅びないように守らなきゃとも思う。ということは、どういうこと?そこが今ちょっと一番不明。
きっとここが一つのピークのはず。次はまた違うのやろうと思う。
あともう若さ押しをやめよう。いや、若いんだけどさ。若さにたよらない。楽しないやつやろう。
しかし、こういうのも年に一回やりたい。情報量過多の鉄バット。若いうちに。太宰でやりたいなあ。新ハムレットでひたすら太宰攻めで、ハムレットに全然収束しないやつ。むしろホレイショーかレアティーズ押し。シェークスピアの余裕にかまかけてやりたい。超やりたい。
そして回を重ねるたびに自分には才能がないことに気づく。そのあたりに折り合いをつけつつ。
だからこその文化押しもちゃんとやろう。
時代を実感する才能!
きっとそれが全て!
だからなに?の部分!真実真実!ゲロゲロ!
気持ち悪いメモとりあえず終わり。うん。
金谷

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