ちまきの会報告書〜11月13日〜

昨日はちまきの会でございましたのでご報告です。
言葉についての第7回目くらい!
先月は漢字にたちもどってきたので、今回はもっともっとたちもどって伝える以前のことを考えてきました。
最初は、今の状態で、突然世界に自分一人だったらどうするかを動いたりしながらひとりづつ説明してもらいました。まわりに誰もいないし、なにもない。光もない、とりあえず自分一人だけ立ってる状態からスタートだったので割りと皆地面にたより気味。前向きな人もいればすぐに死を選ぶという方も。
光がないのがものすごくネック。
次に、生まれてこの方上記の条件で世界に一人だったらをやってみました。
年齢の設定が今の自分の年齢でやってみたので、食べ物はないんだけどずっと一人で生きてきたという事になり、大きくわけると、わりとすんなりと人外の生き方を選択するかたと、あくまで人として生きようとするかたで別れました。
あとは排泄物を有効に利用しようとする動きも多かったです。食べ物にしたりだとか、マーキングにつかったりだとか。
最終的には、生まれてこの方世界に一人だった人がこれまた生まれてこの方世界に一人だった人とであってそれぞれに役割(名前)をつけて分けられるかどうかをやってみたのですが、コミュニティ形成ができてパワーバランスもなんとなしにどちらかが優位に立つところまではいくのですが、最終的に相手のことがどうでもよくなったり、今まで一人でいきられたためにべつに共存する理由がなかったりで役割を決めるみたいな、ルールをつくるまではいきませんでした。挨拶みたいなものを作り出したチームはいました(写真!)
しかし、コミュニケーションにつかわれたのは音と排泄物だったので言葉や文字のルールができるところまで進化するにはあともうちょっと。
それには恐らく、命の危険が必要なんだということがわかりました。
人は、相対的に行動する。(上記の、地面にたよる(接地面と私)、排泄物を利用する。(みな、一番最初に排泄を認識した時好奇心でいっぱいで、それから利用するようになってきました。))ってのも顕著!
言葉の本質は差異にあります。
今のところ私はそこにもやもやを抱えていて、例えば、ここに桃があったとして、この桃はご覧の通り『桃』という字で、『もも』と呼ばれているんですけど、そのルールのおかげでみんなで桃をほかのものと識別し、共有できているんですけど、このルールのせいでせいで、桃以外の可能性を失ったわけで・・・そこが今のところとても気になります。私、気になります!
なんだか生態観察みたいになってしまいましたが、実際はみんなうんこうんこ言ってました。今日ほど下品なちまきの会はありません!まったく!
あと、11日に平澤さんがお誕生日を迎えたので誕生日も祝いつつ!(写真二枚目!)
今回のちまきの会はこんなかんじでした。
次回は11月27日(火)です。
11月は二回開催!よろしくお願いいたします。
金谷

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