言葉・5 メモとか。
あれからほぼ引きこもっています。最近引きこもりをやめはじめて外でてきています。今日は5時起きでワークショップのお手伝いしてきたんだぜ!どうだ!健康だろう!楽しかった!
で、とりあえず、引きこもりを脱出しかけなのでちゃんと思うことを書きます。
以下メモ↓
今回の『言葉・5』は名詞についてでした。
本当は、言葉・0から、1、2、3…と、言葉の歴史をたどるような感じでつづきでやるつもりだったのですが、平澤さんとかと話すうちに、たちあげられそうなものからやってみても良いのでは?ということになり、その時点で一番想像しやすかった『名詞』についてやってみることにしました。
名詞は、あらゆるものの名前で、その名前がもつ力とか、フライヤーで書いた竹取物語の話とか、「その名前でなければ、そうならなかった」みたいなところが一番よく考えていたところで、
そこから発展して、出逢うこととか出逢わないことを考えていました。
名前というものがないと人はそのものを認識できないというところ。
それはきっとコミュニケーションの一番最初の部分なんじゃないかなと思って、0の次に5をやってよかったかもなと思ったりしました。
それよりなにより、今回は協会員3人でやると決めたのがでかかったかもしれません。
パンフレットにも書きましたが、一番の理由は、
色々あって、別れの予感がしたからです。ここでやらなくちゃきっともうできないかなと思ったからです。
ニュークリア・エイジ以降、これでもう後はないなとずっとおもいながらやっている気がします。
3人での稽古はとても静かでした。いつもより全然うまくいきませんでした。
でも、それでよかったんだと思います。
色々話もしました。普段はお芝居について3人で話す機会はじつはほとんどなかったので。
でも沈黙の時間のほうが多かった気がします。最初はそれにイライラもしました。なんで話せないんだろう?とか、もしかして今まで私が話してきたことって全部伝わってなかったのかなとか。どちらかというと自分にイライラしてました。
でもそれもちゃんと形にしたいと思うようになりました。形になっていたかどうかはわかりません。
出逢いも別れも私達の中ではドラマチックにはならない。
二人は私よりずっと大人でかしこかったのです。辛い別れならちゃんと対処するし、出逢いに良し悪しなんてない。ドラマと呼ぶにはおそれ多い。
それはそれで良いことなんだと心から思います。でも、二人のそれはみたことがあったし、そういううまさは私は嫌というほど知っていました。
だったらもっとそういう現実的なものが描ければとも思ったのですが。なんとなく、そうしませんでした。名詞という縛りがあったからかもしれません。他の理由かもしれません。
だので無理やり二人にドラマをしょいこんでもらうことになりました。というか、結果そうなってしまいました。ふたりがあまりにもドラマチックを床に置いておくので。
もちろん私もしょいこんでみたつもりです。
それをどうするかは個人にかかっていました。
結果として作品がどうみえたのか私にはわからないまま終わってしまいました。
でも、私達がギリギリ観られるくらいだったかとおもいます。
ギリギリなんて、それは演出としては非常に駄目なことなのかもしれませんが
今まで以上に、それをした覚えがあります。
ダメな部分を、良い部分をあえて美しくしたりどうこうしたってどうしようもない、とちゃんと思うことができたからです。
だからこそのコントみたいな形式でした。
この3人ならよけいな飾りはいらないと思ったからです。
あくまでも、質素に。といえば聞こえはいいかもしれませんが、質素はチープだし。そのチープさをなんとかすることを各人にまかせたので、もしかしたらものすごく残念なものにみえたかもしれません。女の子3人なのに、華やかさもなにももたせない。のは、一般的にはあまりよくない印象になったのかも。
おしゃれに、とか、かっこよく、かわいく、美しく、なんて演出する上で一度もおもったことありません。
その人が立ってギリギリになって面白くなるようにとかならあります。今回はそればかりでした。
そのまえに私がやっていることなんて演出じゃないのかも知れません。今後演出をなのるのをやめようと最近ずっと思います。
じゃあ何て言えば良いのかがいまだにわかってない。
しかし、それと面白がって戦ってくれる人が好きです。確実なのは、平澤さんと佐々木さんはそういう人なのです。
そういう人たちと、そういうものが作りたいという思いはずっとありました。
結果は憧れで終わったのかもしれないけれど。
挑戦できたことは、非常に嬉しかった。二人に感謝です。
今回は如実に、私の抱える問題はいやというほど目の前にあらわれてきました。ありがとうございます。
私はもっとふりきれればよかったなと。自分勝手にか、まったく他人勝手に。
二人にもっと甘えればよかった。
今更ですが。残念な自分に腹が立ちます。
二人はどうだったのか、今度聞いてみます。
初日を終えた後に、平澤さんが、「金谷の目の黒い部分を始めてみた」といってくれました。いつもニヤニヤしてるので、目が細くて見えないそうです。
私はそれがとてもうれしかったのです。私が稽古の沈黙の時間で話したかったのはこういうなんでもないことでよかったんです。
なので、多分言葉・5がはじまったのは初日からでした。ということははじまってまもなく終わってしまいました。
もっと上手くやっていたらな。と何度もおもいました。でも、そんなもんかもしれないと慰めています。
お客様のあたたかい目線があったからこそ成立した作品であることはまちがいないです。
これで男性が一人でもいたら全然ちがった目線になったのでしょうけど。
その点はいつも悔しく思います。その目線の違いを上手く使わないといけないのだろうけど。なんだか悔しいのです。昔からそれは思っています。
明日朝起きたらおじさんになりたいといまでも心から思います。
おじさん3人だったら、きっと、コントがちゃんと成立したろうに。くそ。
でも、おじさんじゃなくても、言葉の世界を面白くみせることはきっと可能だと思っています。
名詞のもつ切なさは、(もっと他によい方法があったにせよ、)女性のほうが相性がいいと思ったし。
その切なさを全力で背負う力が今の私達にはなかったのかもだけど。
だから、今度はもっと他の方法でやりたいなと終わってから強く思えることができました。
吐きそうなのでメモリはこれでひとまず。思い出したら付け足します。
でさあ、そしたら終わってから、例のごとく誰にも会いたくなくて引きこもっていたら、なんでか急に『大鏡』がとてつもなくやりたくなって、大鏡の資料を買い込んで今夢中で読んでいる。
謎の初期衝動。
でもこんなのは結構久しぶりでわくわくしていたりもします。
いろんな後先はとりあえず考えていません。
引きこもりちゅうにさんざん考えて絶望し疲れたので今はこちらを楽しむモード!
私がいま一番結婚したい男は道長様だ。
生まれる時代を間違ったとは半分本気で思っていたけど、なんで平安時代に生まれなかったんだろう。ちくしょう!!
金谷
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