授業レポート三日目

おそばせながら!
青山ねりもの協会特別企画『金谷先生が普通に授業をする会』三日目の授業レポートです。

例のごとくロング!

2月18日(火)
授業企画三日目
一週空けて、授業企画三日目。今日は残念ながら直前にキャンセルなどあり、3名の皆さまと! 
本日は、最後の授業と、テストでした。

一限目(19時35分~20時35分)
最後の授業ということで、なんとかまとめたかったのですが、結局まとめきれず終わってしまった印象です…。

まず、前回は第一段落をまとめたので、続きの第二段落(P93、下段L10「そのころは覚醒…」~P100、上段L3「…水道橋のほうへ曲がってしまいました。」)を口頭で説明しながら追っていきました。
この第二段落で印象的なのは、上野公園での策略のあとの晩、「K」が「私」の部屋と「K」の部屋の間のふすまを開けて、黒い影となって立っているシーン。それから、その次の日の朝の「K」の態度から、上野公園の話の最後に「K」が言った「覚悟」という言葉が「私」の中に違う響きをもって思い起こされ、ついに「私」が仮病を使って「奥さん」に「お嬢さん」との婚約を申し込むシーンの二つ。
「私」と「K」の部屋の間取りや、「私」が婚約を申し込んだ後、歩き回ったところの地図などの資料をお渡しして説明。偶然にも、この企画の会場が『こころ』の主な舞台となった場所の近くだったので、本当はもっと暖かい季節で、お昼とかならば歩いてみてもおもしろかったなあと思います。
第二段落もゆっくりやれれば良かったのですが、本当に説明のみで終わってしまいました。

そして、一応メインでやったのは第三段落(P P100、上段L4「私は猿楽町から神保町の通りへ出て、…」~最後。)のほんの最初の部分。婚約を申し込んだ後の「私」が、外をぐるぐる歩き回ったあと、家に帰ってきて、「K」と顔を合わせるシーンです。 

婚約を申しこんだ私は、家にいるのがいたたまれなくなって、外に飛び出して猿楽町や神保町などを歩き回ります。『こころ』の時代もそのあたりは古本屋がたくさんあることで有名です。当時の学生さんなんかはやはりよく通っていた場所のようですが、この時の「私」はそんな気にもなれず、ただただ歩いていました。
そのとき、「私」の頭の中は婚約を申し込んだ時の「奥さん」のことや、それを聞かされた「お嬢さん」の想像でした。「K」のことは一切考えていなかったのです。
もちろん、結婚の申し込みなんてほぼ一世一代のことですから、それ以外のことを考えられなかったのは普通のことだとはたから見ても思いますが、友人の「K」も「お嬢さん」を想っていること。その「K」に自分も「お嬢さん」のことを想っていることを知らせられないまま、「K」に恋をあきらめさせようと策略したあの上野公園の出来事は「私」とって別にすぐに忘れてしまうような軽々しい出来事だったわけではないということ。
むしろ、「K」のことは「私」にとってとても重みのあるものであること。第一段落ではとらえきれないし、テキスト本文の『こころ』だけでも捕えるのが難しいところなのですが、「私」と「K」は本当に深い友人関係であったし、お互いがお互いを信頼しあっているし、「私」は「K」を尊敬するまなざしで見ていたのです。それゆえに劣等感や、逆に負けたくないという気持ちも「K」に対して働いていたはず。(と、こんなようなことが言いたかったのですが、たぶん授業の中ではこんなに詳しく説明できなかったので、この「私」と「K」の関係と、「私」が「K」をどんな風にとらえているかをやんわりと探りながら進んでいった感じです。)

とにかく、「K」のことが頭にないまま家に帰ってきて、「K」と遭遇してしまいます。
間取り的に「私」の部屋に行くには、「K」の部屋を通るのが一番早いので、「私」はいつも通り(「K」のことが頭になかったのもあるが)「K」の部屋に入ります。そして時間も時間なので「K」が部屋にいたのです。これもいつも通り。そして「K」はいつものように自身の部屋で本を読んでいて、いつものように「私」に話しかけます。しかし、この日はいつものように「今帰ったのか」という言葉ではなくて、「病気はもういいのか、医者へでもいったのか。」という言葉を「K」は「私」にかけます。
そして、その刹那に「私」は「K」に謝りたくなるのです。

この言葉が「私」にどう響いたのかを少しだけ考えてみました。

・まさか、いたわりの言葉が来るとは…

・全然いつもと変わらないように接してくる…

といったような言葉で説明していただきました。まさにその通り。
こういうところからも「私」が「K」をどんな風にとらえていたかが、上野公園のあの策略や、婚約の申し込みの出来事が「私」にとってどんなに力を尽くしたことだったのかがわかってきます。

「私」はこの時点で自分がずるい人間だということにだいぶ意識的になってきます。こんなにずるい自分に、こんな言葉をかけてくれる友人。なにも知らないで、なにも疑わないで、無垢な態度である友人に対して、「私」は謝りたくなるのです。 これを板書では「良心の復活」という言葉でまとめました。
しかし、この良心は体現されません。謝りたい衝動は起きたのですが、奥に人がいて(「奥さん」と「お嬢さん」がいて)「私」は謝れなかったのです。

ここで、なぜ謝れなかったのかを今一度考えてみました。本文には「もしKと私がたった二人曠野の真ん中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。」とあります。しかしその後に「しかし奥に人がいます。私の自然はすぐそこで食いとめられてしまったのです。」と続きます。
まず、この「私の自然」はどういうことかを説明しました。全然上手く説明できた記憶がありませんが、ここで言う「私の自然」は、「人間が持つ、自然な心動き」のことだということ。例えば困った人をみかけたら助けてあげよう。とか、物を落としたら拾ってあげようみたいな。全然知らない人相手でも自然と出て来る人間の良心のこと。

漱石先生の作品の「自然」という言葉はとても広い意味で使われていることが多いので捉えにくいのですが。夏目漱石は『こころ』のほかにもこの「人間の心の自然」のことを書いている作品が色々あります。彼のテーマの一つだったようです。(この「自然」と、前に出てきた本文中の「…二人曠野の真ん中にでも立っていたならば、…」のたとえが掛け言葉的な表現なんじゃないかっていう意見も出てました。) 

その「自然」が「奥に人がいて」食いとめられてしまったのはなぜか。色々ご意見をいただきました。

・「私」はジェンガがあと一本抜けたら崩れてしまうような状態で、それを崩したくなかった。

・ここで謝っても、謝らなくても、「K」を裏切ることになる。どちらが男らしいかっていったら、傍から見れば謝る方だけど、その見方ができてない。

・もう、謝っちゃえばいいじゃん。

など。恐らく個々の表現で同じことを言っていただいている気がしました。

とても言い表しにくいのですが、「私」はいわゆる世間体というものを気にしたということ。「私」には守るべき「私」の像があったこと。それは、「K」に対しての「私」だったり、「お嬢さん」や「奥さん」に対しての「私」だったり。そういう「私」の像をこれ以上崩したくなかったのです。 

その後、結局謝れないまま、「私」は鉛のような飯を食います。この鉛飯のシーンも印象的なシーン、何にも知らない「K」と何にも知らない「奥さん」に囲まれての食事。(二人の知らないことの内容はもちろん異なります。)そして、日にちがたってもその良心が復活することがありませんでした。(「私」の気持ちを察して、こんな状況で謝れない。何も言えない。意気消沈してしまう。というご意見も出ました。) 
日にちがたつほど、「私」の心は重くなっていきます。 そこで出てきたのがこの表現。
「要するに私は正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らしたばか者でした。」

この一文についても少し考えてみました。 ここもなかなか上手くご説明ができなかったのですが、ここの「正直な道」というのが、「私の自然」その2という感じ。今度は良心とともに、「お嬢さん」に対する愛のことも含まれるかと思います。「人が人を愛して、その気持ちに素直に、正直になること。」
今でこそ、それが普通の恋愛観の時代ですが、『こころ』の時代は自由恋愛がまだまだ浸透していなかった頃。そうはいっても、「自分の気持ちに素直になること」難しさはいつの時代も変わりません。
そして、その道から「つい足を滑らした。」これは、友人を裏切ってしまったこと。恋人でも友人でも人の情には変わらないし、「K」を不幸に陥れようとは「私」も思っていません。むしろ「K」の幸せを願っている気持ちだし、それは「自然」のものであったはずなのに、もうこの時点で、「お嬢さん」のことを「K」に打ち明けるにせよ、打ち明けないにせよ、「K」を傷つけることには変わりないという状況になってしまったことを、「足を滑らした」と言っています。

先に出てきた「私」の崩したくない「私」像にもつながってきます。
授業でうっかり説明し忘れてしまったのですが、「私」は過去に親戚(おじさんにあたる人)にだまされて自分の家のお金をとられてしまった経験があります。その出来事がきっかけで、「私」は人を信じられなくなってしまうのですが、それと同時に、そんな親戚のような人間には絶対になりたくないと思うのです。

「自分は良心に正直に、自分が良いと思う方にしっかりと歩むつもりが、あの時の親戚のような、人をだますようなずるい人間になってしまった。」そういったニュアンスが、「要するに私は正直な道を歩くつもりで、つい足を滑らしたばか者でした。」にはあらわれています。 

この時点で50分は過ぎてしまったので、このまま、最後の「K」の自殺までのながれをざっと確認しました。

そして、最後に少しだけ、「私」はどうすればよかったのか?というのを聞いてみました。

・こんなに自分で自分を追い詰めなければよかった。

・もっと早く「K」に打ち明けておくべきだった。

・「私」の予測を上回る出来事が多すぎた。

・そうなる運命だったのかもしれない。

・この後に「私」は死ななければ救われるのでは。

など。
最後だったので考えていることを色々お話していただきました。

もっと時間が取れれば良かったのですが、次の時間にテストを控えていたので、残念ながらここで終了となりました。くやしい。 

休み時間(約10分)
約10分間休みの時間でしたが、そこで、藤村操のお話が出てきましたのでメモ!
藤村操くんは漱石先生がそれこそ本気の教師時代の教え子で、華厳の滝に身を投げて自殺してしまった方。「巌頭之感」の遺書が有名ですね。(私は、「ホレーショの哲学」でなんとなく覚えてました。)
漱石先生が授業で操くんに「君の英文学の考え方は間違っている」と指摘した直後に自殺してしまったので、漱石先生も非常にショックを受けた事件でした。

その事件が漱石先生だけじゃなくて、世間を騒がせたこと。その時代に厭世感を理由に死んだのが彼がほぼ初めての人だということのお話を聞かせてもらったり、彼の自殺が夏目漱石に『こころ』を書かせたんじゃないかという意見も出ました。 

二限目(20時50分~21時40分)
一限目が私個人的には消化不良だったので予定を変更しようかとも一瞬思ったのですが、一応作って来たし、予定通りテストというものをやってみました。 3名と少ない人数でしたが、大人がこんなに集中する50分間もなかなか見れない。貴重な時間でした。テスト範囲は前の記事の通り。
むしろ記述問題だけ。というのも考えましたが、一応コンセプト通り、あのときの定期テスト的なものを作ろうと思って、漢字や、記号問題、抜き出しの問題など色々な形の問題を入れてみたつもり…です。
後で少し感想を聞いてみたら、思ったより本気のテストで油断していた。とか。50分ギリギリで焦った。などなど、色々お話していただきました。

  終わって帰った頃はもう遅かったので私も採点は翌日にすることにしました。

そんなわけで。最後のレポートに続きます!  

金谷

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