そうそう。
ていうかそもそも演劇の本質がわりと突き詰めるとそういうのに向いてないってのも恩師とちょっと話したのだ。
要するに時間のことが根本で最大。
多分精神と時の部屋が日常にあれば演劇じゃなくてもあらゆることがヤバイ進化してるよ。悟空だって強くなったらしいじゃん?
今のところ仕組みの前提として時間を重ねることが成熟にはどうしたって必要らしい。
それを突破しているようなものも現代劇にはもちろんあるし、成熟なんかなくっても!で打ち出していける方々はたくさんあるけど、それは実はうそで、表向きそうみえるだけで、(限られた時間しか観ないからね普通)絶対的になにかしらのとか、あるいは誰かしらの、個人の、積み重ねたものの賜物なのだ。
賜物がどっから賜物になるかも問題だけど、今回の例で言えばもう十分賜物をもっている個人ばかりだったはずなのだ。
賜物のだし方が皆、「演劇だから」にとらわれているのももちろんだけど、
その「演劇だから」を楽しんでいる節もあった。
街が主体の場合、賜物を引き出す役目がアーティストだったりするし、それはふえているけど、
そうそう。
村上陽一郎氏の『生命倫理試論』を最近めちゃくちゃ思い出す。
それぞれの立場や拘束なぞはずさなければのところと、はずしちゃいけないところ。
しかし人間ってもともと怠惰だし、演劇なんてほんと、人間そのものだし。
それを本気で面白がるって実は本当に地味なことで、幸せを感じるレベルまでになるにはマジ疲れるから、途方にくれちゃう、飽きちゃう、そのたもろもろ。
物質がほしいしね。物質ないと生きていけないしね。
要するに時間むかつくわーっていう愚痴だなこれ。やめよう。馬鹿がなにいっても仕方ねえ。
電車がとまったせいで暇やねん。
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