『遠野物語』についてその1 「柳田さん」

昨日ついに佐々木さんから「遠野物語のどこがかっこいいの?」とストレートに問われました。

言葉にしにくくて悩んでいたのですがこれは好機ということで、文面でも説明チャレンジ。
長文です。眠れない熱帯夜のおともにどうぞ。 嫌か。

●というかそもそも、『遠野物語』ってなあに?という方のほうが多いと思われます。
私もいままでちゃんと読んだことが無くて、今でも説明できるかどうか不安ですが、
とりあえず、民俗学者の柳田国男さんという方が書いた本です。

手っ取り早く、ウイキペディアによると、柳田さんはこんな人↓
柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 –
1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。元官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃官に至るまで最後の枢密顧問官をつとめる。
「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。

だそうです。ふむふむ。 「やたぎだ」じゃなくて「やなぎた」なんですね。ね!

その後にこんな記事が↓
東京帝国大学では農政学を学び、農商務省の高等官僚となった後、講演旅行などで東北を中心に地方の実情に触れるうちに次第に民俗的なものへの関心を深めてゆく。また、当時欧米で流行していたスピリチュアリズムの影響を受け、日本でも起っていた「怪談ブーム」のさなかで当時新進作家だった佐々木喜善と知り合い、岩手県遠野の佐々木を訪問して『遠野物語』を執筆。他に宮崎県椎葉などへの旅の後、郷土会をはじめ、雑誌「郷土研究」を創刊。民俗学が独自の領域と主張を持つための下準備を着々と進めていった。

前にも少し御説明しましたが、『遠野物語』は、柳田さんが、佐々木喜善という岩手県・遠野出身の作家にであったことで生まれた本です。
佐々木さんの話す遠野のいろんなお話を柳田さんが聞いて、書いて、まとめた本。

『遠野物語』自体の説明はこんな感じ。↓
岩手県遠野町(現・遠野市)出身の小説家・民話蒐集家であった佐々木喜善によって語られた遠野盆地~遠野街道に纏わる民話を、柳田が筆記・編纂し自費出版した初期の代表作。その内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神、そして行事など多岐に渡る。『遠野物語』本編は119話で、続いて発表された『遠野物語拾遺』には、299話が収録されている。
1910年、僅か350部余りで自費出版(聚精堂)された。柳田の前著である『石神問答』は、難解だったためかあまり売れ行きが芳しくなかったのに対し、『遠野物語』は僅か半年ほどで印刷費用をほぼ回収できた(200部は柳田が買い取り知人らに寄贈した)。寄贈者では、島崎藤村や田山花袋・泉鏡花が積極的な書評を書いた。『遠野物語』を購読した人たちには芥川龍之介や南方熊楠、言語学者のニコライ・ネフスキーなどがいる。特に芥川は本著を購入した当時19歳であったが、親友に宛てた書簡に「此頃柳田國男氏の遠野語と云ふをよみ大へん面白く感じ候」と書き綴っている。当時はあくまで奇異な物語を、詩的散文で綴った文学作品として受け入れられた。
民間伝承に焦点を当て、奇をてらうような改変はなく、聞いたままの話を編纂したこと、それでいながら文学的な独特の文体であることが高く評価されている。日本民俗学の発展に大きく貢献した。

●個人的にはこの本の説明はなんといったらいいか…どれもしっくりこない感じがします。物語(説話集)なんだけども…。初めて読んだときは報告書?みたいな感じでした。
なのでとても読みにくかったのを覚えています。
でも読み慣れていくと、内容がすっと入ってきます。懐かしいような、不思議な、感じ。小さい頃読み聞かせてもらった桃太郎やかぐや姫やら、そんな昔話の感じ。小さい頃怖くて大きらいだったお化けの話しや都市伝説。あるいは学生のころ古典で習った説話のようなおかしさと、歴史や地理でならった、全然想像できない土地の広さや山の高さ。いろいろつまっていて、
つまりは、なんだろうな。この本は。と言う感想でして、いまだにそんな感じ。

柳田さんが何をもってこの本をつくったのか、それは全然わかりません。
けど、遠野物語が出版されたのは1910年。
語り手の佐々木さんに出逢ったのは1908年。
初めて遠野に行ったのが1909年。
ざっくり計算すると、佐々木さんに出逢ってから僅か二年でこの本を出版までしてしまうこの情熱と言うかなんというか。すごいな。
その情熱が、ウィキにあるように、日本のこと・日本人のことを思ってのものだったのかもしれない。でも、なんだか、それもあるけど、
本当に佐々木さんからきいた遠野の話がおもしろくて楽しくて、聞いて聞いて!みたいな。そんなおもしろがりなノリがあるんじゃないかと今の私は思います。

でも、じゃあ、どちらにせよ、皆に知ってもらいたい的なものがあったのなら、なぜあのような編集になったのでしょう。
(あのような編集の感じは読まないとわからないよね。ごめんね。)
ただただ、報告書のように番号をつけて、資料化するような感じ。 (そうそう、遠野物語の中のお話は全部番号がふられているのです。それがまた報告書感と淡々とした感をうながすという…。)
しかも、柳田さんは若いころ詩人としても活躍なさっていた方。文学的にはいくらでも編集できたはずです。
でも、そうしなかった。(いや、正確にはそうしているところもある。けど、それがメインではなく、ちょっとした遊び心で出てくるような感じ。)

その、謎の編集のこだわりみたいなものが、民俗学の視点と繋がってくるものだとは思いますが、

もう、いっちゃうと、そのこだわりに私はキュンとしてしまっているのですね。

●話されたものをそのままに残そうとする意志と、それでも読んでもらいたくて編集する意志と、別にその辺の葛藤など全然伝わらなくてもいいような淡白さと。
誰かに何かを伝えることが、誰かの中に何かを残すことだということを、心から考えて、理解していないとできないことが『遠野物語』にはつまっているような気がして。

そんなのとてもかっこいいじゃないかと私は思うのです。

なにかを作ると言うことは自分の意志が入るということ。でもそれを当たり前のこととして、でもそれをすべて良しとしないで、記録と記憶と記述とし続けたその姿勢は、はたから見るとおかしなこだわりであるとは思います。
しかし、そこに賛同した人たちもいたからこそ、『遠野物語』は現代にも残っていて、つまり柳田さんの強い意志が残っているのだと思います。でもその強い意志がもしかしたら果てなく強いおもしろがりかもしれないというところが柳田さんのすごいところで、むしろ『遠野物語』の戦慄ポイントはそこなんじゃないかと思うのですが。

でも、そんな怖い人なんて、とってもかっこいい。と私は思うのですが…。
イマイチ、うまく説明できませんで。すみません。
(ちなみに、こちらに書かれている事は全部私が思っている事なので、ちゃんと知りたい方は、『遠野物語』よんで、柳田さんの研究者の本などちゃんと読んでくださいませ。)

もう私の個人的な性癖なのかもしれない。偏った見方で『遠野物語―super IHATOV remix!!!―』も着々とつくっています。
でもって、今回はその柳田さんのかっこよさだけじゃなく、そのほかの『遠野物語』まわりにいた人たちのかっこよさも描いていけたらと思っています。
勿論、語り手の佐々木さんについても。(ていうか、この人はもっと知られて欲しいなと思う。超個人的に。 )

●では、またどうせ長くなるので、他の『遠野物語』まわりの人たちについては又の機会に。

お口直しに昨日食べたかき氷の写真で暑さを吹きとばしてください。

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金谷

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