『こころ』のこと6

雪! いっぱい!

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家の塀にはもう30センチ以上積っていました。写真の手前のT字のがそれ!去年のぼたん雪見たいのじゃなくて、小さいのがさらさらと降り注いでいるのもびっくり。
見てるだけで飽きないけれど、さむい。

そして、今日は『こころ』のこと6回目。企画の方はあと二日で始まります。
まだまだ一緒に授業してくれる方募集中です。

今日は、「私」についてちょっと書いておいた方が良いかもと思い始めたので、「私」について本当に少しだけ!

『こころ』の主人公?それとも副主人公?として、「先生」と対をなす、「私」という登場人物。

教科書で読んだだけでは、「私」の存在は殆んど気にされませんが、上・中は、「私」の物語がメインになってきます。
まあ、そもそも「私」が「先生」に出会わなければ、『こころ』は始まらなかったわけですので。

前にも少しご説明しましたが、「私」は田舎から出てきた学生さんです。なにかしようと、なにかを学ぼうと東京に出てきましたが、何をすればいいのかわからず、ふわふわしていたところ、たまたま「先生」とであい、なぜか「先生」に心惹かれて、「先生」になついていきます。(大学は恐らく、「先生」と同じ東大なので、先輩後輩ということにもなりますが。)

この出会い、こちらからしたらおいおい都合よすぎるだろみたいな感じで、ある意味ファンタジックでもあるんですが、「私」を囲む環境は「先生」をのぞいてとてもリアルなものです。
恐らく、若い方は、「先生」の物語より、「私」の物語の方が共感できるのではとも思います。

何かがしたいと東京にでてきても何をすればいいかわからず、(この時代ですでにこういうタイプがあったのですね。)田舎では、父親が病気になり、嫌でもこれからの家のこと、家族のことを考えなければならない状況に立たされます。
まだまだ自分のことを考えていたいと思っても、自分というものがどうしても周りの人によって形成されているものだと実感してきた所に、「先生」という存在が現れるのです。

「私」に、「先生」はどんな人物に見えたのでしょうか。

でも何となく、個人的には、こんな偶然の出会いをいただいたのなら、私も、「私」と同じように「先生」を慕ったのかなとも思います。

「私」の家族のことについては、主に中のところで語られます。父親の病気の知らせを聞いて「私」が自分の田舎に二度ほど帰ったりするのです。

で、とくに上から中への切り替わりが個人的にお見事!なので載せておきます。↓

私は鞄を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇かすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切の土産ものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡りが解らないというよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたのである。
 私は暇乞いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底故のような健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定めて心細いだろう、我々も子として遺憾の至りであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
 私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想い浮べた。ことに二、三日前晩食しに呼ばれた時の会話を憶い出した。
「どっちが先へ死ぬだろう」
 私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然はっきり分っていたならば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外ほかに仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事もできないように)。私は人間を果敢はかないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。

中 両親と私

 宅へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。
「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」
 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽の後ろへ、日除けのために括り付けた薄汚いハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻まわって行った。
 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。
「卒業ができてまあ結構だ」
 父はこの言葉を何遍も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家うちの食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付きとを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉うれしがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭いなかくさいところに不快を感じ出した。
「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」
 私はついにこんな口の利きようをした。すると父が変な顔をした。
「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解わかっていてくれさえすれば、……」
 私は父からその後を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合わせか、今日までこうしている。起居に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいのさ。せっかく丹精した息子が、自分のいなくなった後あとで卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」


超絶的確だし、後の展開のことも考えると本当に見事な転換だなあと一人勝手に思っているよ!

で、中のところではもうひとつ重要なことがあります。それをお伝えしておかなければ。
ちょうど、上の抜粋の後に、『こころ』のもうひとつの最大要素となる、現実の時間軸が突如ぶっ込まれます。

それが、明治天皇の崩御、そして、乃木大将の死です。

私は、これが、『こころ』の要だと思っているのですが、授業でやるには相当難しい。
もう、誰にもわからなくなってしまったことを、どう伝えればいいのかって話で、
『こころ』が時代を経て今のように三角関係のお話と言う風に認識されていくのもしかたがないのかなあと。

次は乃木大将についてメモしておきたいのだけれど、できるかしら。
乃木大将についてはまた明日!できるかしら。

それでは。明日の晴れた雪景色を期待しながら、おやすみなせえ。

金谷

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