紀貫之

さてさて。第四回目。

いままで道長さんからは遠い時代の人をご紹介してきました。
そろそろ道長さんと近い人たちのこともご紹介したいのですが、もう一人だけ。

在原業平、菅原道真、どちらも有名な方々ですが、このぐらいの時代にもう一人有名な方。

「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」
のフレーズでおなじみ。『土佐日記』の紀貫之をご紹介しておきたいと思います。

紀貫之というと、『土佐日記』しかでてこないと思いますが、彼も有名な歌人であり、政治家さんでもありました。
いままでご紹介してきた業平様も、道真公も、歌だけでいきていたわけではありません。政治の職に関わっておりました。
歌人も、学者も「お家」の仕事としてははあるのですが、この時代、貴族と呼ばれる方々は皆、「政治」というものに関わらないとなりませんでした。
というのも、学者も、教える対象は、皇族の子どもたちや、政治家・貴族の卵たち。歌人も、歌を作るのは、帝のためだったり、他の政治家・貴族たちのためにつくっていたわけです。
なんのためにお家の仕事をしているのかというと、「政治」のため、もっと抽象的にいえば「国」のためでした。
逆に言えば、「政治」や「国」のために必要だったから。学者とか、歌人とかが出てきたまでです。

今じゃ全然ピンと来ないかもしれませんが、自分のやっている仕事は全部「国」に関わっていることでした。や、今だってそうなんですけど。
その関わり方には今よりも決まりがいろいろあって、「政治家」としての肩書がないと、仕事ができない場もあったわけです。そういう意味で、お家の仕事だけをやるわけにはいかない方々もいました。
もちろん、農民とかは、基本的に、農民だけとかはあるんですが。

めんどくさい話をしてしまいました。ちょっと誤解を招く説明だったかもなのでくわしくはここじゃないどこかでもうちょい上手い解説を探してください。

しかし、もはやお気づきでしょうが、『大鏡』は基本的には政治家しかほぼ出てこない。

紀貫之の話に戻ります。
年齢的にならべてみると、在原業平が一番古い時代の方。20歳差くらいで、菅原道真。道真公と20~28歳差くらいで紀貫之。が、生まれます。

紀貫之も、当時から政治よりは歌で活躍していた方のようです。『大鏡』にも、紀貫之の歌がすばらしいという話題はよく出てきます。

しかし、あの有名な『土佐日記』のもともとは土佐の方に仕事で赴任した経験が元になっております。
いまでいうと地方に転勤みたいな。県知事みたいな仕事を、しにいったわけです。
その土佐のまでの船の旅の道中のことや、土佐に行ってからのこと、帰り路などの記録を「日記」として再編集したのが『土佐日記』。
しかしその内容は、歌がちりばめられていたり、物語風になっていたり、私たちが考える「日記」とはちょっと違うものです。
平安時代の日記ってみんなそうなの?って感じかもですが、そんなわけありません。紀貫之が特殊です。彼の書いた『土佐日記』は、ただの記録ではありません。
意図的に編集されております。そういうのを、よく「日記文学」と言います。『土佐日記』は日記文学のはしりと言われております。ここから、女性たちが書く、『蜻蛉日記』や『和泉式部日記』などが後世に出てきたりします。
紀貫之が、なんでそういうものを作り出したのかは謎ですが、何かを作るとか、書くとかそういうものを仕事より楽しんでいた人だなというのはとっても思います。

「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」の『土佐日記』について一度は聞いたことある、「女性仮託」なんかも、それの延長か?とか、良く言われてます。
紀貫之は男なのに、女のふりをして書いた。と授業でも習うかと思います。
当時、女の人は日記を書かなかった。ひらがなは女の人の文字だった。男の人のものである日記を、女が書こう。みたいなニュアンスで?習ったかと?思われます。
実際、当時、貴族の男の人は日記を書くのが習慣としてありました。道長さんも実は日記を残していて、(『御堂関白記』といいます。こちらは、本当に、その日の出来事をメモしたいわゆる「日記」最近ユネスコ文化遺産に登録されました。)「日記」というものは、漢字(漢文)で書くのが普通でした。

この女性仮託も真意は謎ですが。
わざわざこんなことするやつは、もうある意味で文学オタクみたいなものかと。こうやったら楽しいんじゃないか、おもしろいんじゃないかというのをこんこんとやりつづけていたに違いないとは思います。

なので、私はべつにこれ、気にしていた(こだわっていた)のは女性のふりをすることじゃなく。「ひらがな」で書くことかなあと。思っています。
ある一説で、「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」に濁点をつけるとなんとなく、「男もず(文字)なる日記というものを女もじ(文字)てみんとするなり」って感じになるのでは?という説がございます。これだと、「男の文字(漢文)で書く日記というものを女の文字(ひらがな)でかいてみよう」みたいなニュアンスになる。
普段あんまり使わない「ひらがな」でも、なにかやってみたかったんでしょうか。
でも、実際、この後の時代にはたくさんの女性が、文学を作り出すことになるので、ひらがな(女性の?)の可能性を広げたきっかけになったのは間違いないのかなと、思います。

ある意味では、業平さまよりも道真公よりも、芸術家としての方面が強かったっぽい紀貫之。ちなみに政治の仕事の方ではあまり高い位にはつかなかったようです。
それを悔やんでいたかどうかは定かじゃありませんが。でも、土佐にいったのが実は亡くなる数年前の55歳くらい。もう隠居して余生を過ごしていてもおかしくないときに働かねばならなかったのをみると…。どうなんでしょう。むしろ、経験は芸術の肥やしになるとも考えていたのかしら。どうなのかしら。

で、そんな紀貫之を担当しますのが、われらが佐々木明奈。青ねりメンバーちゃん。ずいぶんと一緒にいていただいて、とてもたよりになるお姉さんです。

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今回彼女だけ女の子の役をやりません。他の子は一度は女役をやるのですが。

ずっと前からそうなのですが、彼女芝居が上手いとか下手とかそういう次元はもはや越えていて、なんというか、変です。必ずと言っていいほど、稽古場にいる全員が予想もしないなにかを出してきます。
誰にもできないことをやってのけるので毎回嫉妬と尊敬をしています。で、毎回えー!って言わせてもらっています。本人的にはそういうのはなんだか不服っぽいです。
しかしここ最近それに磨きがかかっている気がします。他のところに出演していたらちゃんとかわいい感じの女優さんになるだろうに。ごめんよ。
平澤さんもそうなのですが、どんどんかわいい感じがなくなって怖くなっています。全然かわいくない。かわいいのに!
怖いのは、怒ってるとか、強気とか、そういうことじゃなく、妖怪みたいな。怖いです。なんかごめんよ。
ちなみに私も妖怪みたいと言われたことがあります。類友なのか。なんなのか。

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何だか回を経るごとに長くなっていってるので申し訳ないです。
それでは。今日はこれにて。おやすみなさい。

金谷

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