『遠野物語』についてその6「宮沢賢治さん」

皆に助けていただいて、明日いよいよ本番を迎えます。劇場にはいってできることもできないこともたくさん見えて面白いです。
まずは明日どうなるか。明日からはお客様と一緒にやってみます。

さて、一応今日で最後だと思う『遠野物語』について。
遠野物語に関わる人々を色々ご紹介してみましたが、勿論もっと色んな人々がいます。柳田さんの友達の自然主義の方々とか、詩人の方々とか。水野さん・佐々木さんも詩人(歌人)のお友達が多いきがする。その他、民俗学の研究も柳田さんがひとりコツコツやってる(時もあるけど)訳じゃなく、共同研究者の方々や、お弟子さん的な方々と、共に民俗学をやる仲間がたくさんおります。

有名どころで折口さんとかは古本屋で遠野物語を手に入れて、その時のことを詩にのこしていたりしたりとか。
(折口さんは遠野物語がきっかけで柳田さんと仲良くなり、柳田さんとともに民俗学のほうでも名前をのこすことになります。)

遠野物語は地味なんだけど、なんだかゆっくりゆっくり色んな人へ影響を与えていっているかんじがします。

今回の公演では、その色んな人々の中から協力してくださりそうな方を役のモデル的なものとして登場していただいています。
もちろん、あくまでフィクションですので、本当の話をやるわけではないのですが、オマージュ的なつもりで、敬意を払いながら作ってきたつもりです。

本当に、私も敬意というものを履き違えていなければよいのですが。

そんななかでも最も扱いに困ると言うか、扱うなんて無理な強い磁場をもっている方がおります。

『遠野物語-super IHATOV remix!!!-』
の「IHATOV」でお好きな方はもうおわかりだとはおもいますが、もはや有名すぎる岩手出身の童話作家・詩人の宮沢賢治さんのことです。
もう言わずもがなな気もしますが、一応ウィキさんをどうぞ↓

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字:宮澤 賢治、1896年(明治29年)8月27日 – 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
郷土岩手に基づいた創作を行い、作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ(Ihatovo)等とも)と名づけた。
生前に刊行されたのは『春と修羅』(詩集)と、『注文の多い料理店』(童話集)だけであったため、無名に近い状態であったが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった

ですって。今回の公演タイトルにはいっている「IHATOV」は賢治さんがエスペラント語から創作した造語です。

つまり、今回は「遠野物語」の「岩手リミックス」ということで。
賢治さんは混ぜずにはいられないのですが、これがなんとも…
やはり彼の作品のパワーが桁違いというか、異色というか。どうやったって宮沢賢治そのものであるのがすごいと思っていて、手こずってもいます。

個人的には賢治さんの作品はとても好きなんだけど苦手です。
実は今、別の場所でも宮沢賢治さんの作品を何かしらでやろうとしていて、その研究会的なものに少し参加しているのですが、その会の参加者の方がおっしゃっていた、「友達になれそうにない、というかなりたくない。」ってのが、私もちょっと近い感覚です。

私はファンタジー的なもので彼の作品を読むことができず、どちらかというと超現実的なんじゃないかと思っている。
彼の作品世界はどれも突き詰めた現実のような気がしています。それがなんだかこわいのです。

小さい頃彼の作品に出会っていればなにかちがったのでしょうか。(一応、小学生のときに『オツベルと象』は授業でやりましたが。)銀河鉄道とか読まなかったし、今読んでも銀河鉄道はあまりピンとこない。ウッってなる。でもそれがいいのかな?)

この感じが伝えにくいので、引用してみます。長いです。
比較的読みやすい『セロ弾きのゴーシュ』から、動物たちがゴーシュさんの家を出て行くシーンをそれぞれ。
↓↓

◎猫
「先生、こんやの演奏はどうかしてますね。」と云いました。
セロ弾きはまたぐっとしゃくにさわりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくわえそれからマッチを一本とって
「どうだい。工合ぐあいをわるくしないかい。舌を出してごらん。」
猫はばかにしたように尖とがった長い舌をベロリと出しました。
「ははあ、少し荒あれたね。」セロ弾きは云いながらいきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあ猫は愕おどろいたの何の舌を風車のようにふりまわしながら入り口の扉とへ行って頭でどんとぶっつかってはよろよろとしてまた戻もどって来てどんとぶっつかってはよろよろまた戻って来てまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。
ゴーシュはしばらく面白そうに見ていましたが
「出してやるよ。もう来るなよ。ばか。」
セロ弾きは扉をあけて猫が風のように萱かやのなかを走って行くのを見てちょっとわらいました。それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。

◎かっこう
「黙だまれっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」ゴーシュはどんと床をふみました。
するとかっこうはにわかにびっくりしたようにいきなり窓をめがけて飛び立ちました。そして硝子ガラスにはげしく頭をぶっつけてばたっと下へ落ちました。
「何だ、硝子へばかだなあ。」ゴーシュはあわてて立って窓をあけようとしましたが元来この窓はそんなにいつでもするする開く窓ではありませんでした。ゴーシュが窓のわくをしきりにがたがたしているうちにまたかっこうがばっとぶっつかって下へ落ちました。見ると嘴くちばしのつけねからすこし血が出ています。
「いまあけてやるから待っていろったら。」ゴーシュがやっと二寸ばかり窓をあけたとき、かっこうは起きあがって何が何でもこんどこそというようにじっと窓の向うの東のそらをみつめて、あらん限りの力をこめた風でぱっと飛びたちました。もちろんこんどは前よりひどく硝子につきあたってかっこうは下へ落ちたまましばらく身動きもしませんでした。つかまえてドアから飛ばしてやろうとゴーシュが手を出しましたらいきなりかっこうは眼をひらいて飛びのきました。そしてまたガラスへ飛びつきそうにするのです。ゴーシュは思わず足を上げて窓をばっとけりました。ガラスは二三枚物すごい音して砕くだけ窓はわくのまま外へ落ちました。そのがらんとなった窓のあとをかっこうが矢のように外へ飛びだしました。そしてもうどこまでもどこまでもまっすぐに飛んで行ってとうとう見えなくなってしまいました。ゴーシュはしばらく呆あきれたように外を見ていましたが、そのまま倒たおれるように室へやのすみへころがって睡ねむってしまいました。

◎狸
「どこが悪いんだろうなあ。ではもう一ぺん弾いてくれますか。」
「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。狸の子はさっきのようにとんとん叩きながら時々頭をまげてセロに耳をつけるようにしました。そしておしまいまで来たときは今夜もまた東がぼうと明るくなっていました。
「ああ夜が明けたぞ。どうもありがとう。」狸の子は大へんあわてて譜や棒きれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめておじぎを二つ三つすると急いで外へ出て行ってしまいました。
ゴーシュはぼんやりしてしばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくる風を吸っていましたが、町へ出て行くまで睡って元気をとり戻もどそうと急いでねどこへもぐり込こみました。

◎鼠
「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」とききました。
 すると野鼠はびっくりしたようにきょろきょろあたりを見まわしてから
「いえ、もうおパンというものは小麦の粉をこねたりむしたりしてこしらえたものでふくふく膨ふくらんでいておいしいものなそうでございますが、そうでなくても私どもはおうちの戸棚とだなへなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れましょう。」と云いました。
「いや、そのことではないんだ。ただたべるのかときいたんだ。ではたべるんだな。ちょっと待てよ。その腹の悪いこどもへやるからな。」
 ゴーシュはセロを床へ置いて戸棚からパンを一つまみむしって野ねずみの前へ置きました。
 野ねずみはもうまるでばかのようになって泣いたり笑ったりおじぎをしたりしてから大じそうにそれをくわえてこどもをさきに立てて外へ出て行きました。
「あああ。鼠と話するのもなかなかつかれるぞ。」ゴーシュはねどこへどっかり倒たおれてすぐぐうぐうねむってしまいました。

↓↓

ね?
かっこうだけなんでかとても「現実」ですよね。たぶん本当に見たんだと思います。しかもものすごくよく見て、何度も記憶を再生している感じ。
突然こういうのくるから怖い!ってなる。

佐々木さんの時にも書きましたが、佐々木さんにも似たような感じがするんですね。やはり。

賢治さんと佐々木さんが出会ったのは1920年代も後半。お二人は同じ年に亡くなっているので、晩年といいましょうか。
座敷わらしの研究をしている時に、賢治さんの『ざしき童子のはなし』という作品を雑誌に引用したいかなんかで佐々木さんが賢治さんにお手紙を送ったのが初コンタクト?と言われているよう。
それから、エスペラントの講習会で佐々木さんが講師として花巻にも来ていて(佐々木さんは色々やってんだぞ!村長もやってんだからな!)そこで知り合いとともに会ったりとか。したみたいです。

それからちょこちょこ佐々木さんの方が賢治さんを訪ねることが多かったみたい。
恐らく互いに病気で亡くなっているので、病気しながらだとは思いますが…。

話す話しは霊界とか、そういう話。佐々木さんはそのころ大本教に熱心で、賢治さんは法華経に熱心でしたけど、宗教の違いとかそういうところ含めてけっこう盛り上がっていたらしい。
賢治さんは佐々木さんに法華経がどんなに素晴らしいかを説いたりして、話しをリードするのは賢治さんの方だったようです。
賢治さんとあって話した帰りに、佐々木さんが「あの人はすごい人ですね。本当にすごい人だ。」的なことを言っていたとかなんとか。どういう意味でのすごいなのかはわかりません。
二人の会話が聞いてみたいもんです。

さて、そんな二人は岩手出身だったり、没年が同じだったり、興味の方向も割と似通っていたりで共通点と見れるところがちらほら。
もうひとつ共通点としてあげるならば、二人とも大事な人を亡くした経験を持っています。

生きていればそんな経験も誰しもあるかと思いますが、

賢治さんの大事な人といえば、妹のとしさんとかが思い浮かびます。他にも兄弟はおりましたが、賢治さんととても仲が良かったのがとしさんだったようです。
亡くなったとしさんのことを書いた詩はあまりにも有名ですね。

一方佐々木さんは一人娘を早くに亡くしております。若さんと言う方。若さんはもともと身体が弱く、学校にいくこともあまりできなかったので、父親の佐々木さんと一緒に過ごす日々も多かったようです。佐々木さんが小説家さんでもありますので、彼の本を一番楽しみにしていたのは娘の若さんだったとか。

としさんも、若さんも20代という若さで、どちらも病気で亡くなっています。

私は幸いにも近しい人の死を経験した回数は少なめですが、私の父親も病気で亡くなりました。
入院中もそうだし、病院から一度家に帰って来た時は、きっとたぶん治るんじゃないかと思っていたのですが、亡くなってしまいました。
死んでしまうということがわからなかった私には、そういうものがあることが理解できなかったので、治るんじゃないかとしか考えられなかったのですね。

でも今は理解したかと言われれば、未だによくわかりません。

さてさて。泣いても笑っても明日は本番!
『遠野物語-super IHATOV remix!!!-』満を持していよいよ開幕致します。
生きている方も、死んでいる方もどうぞよろしくおねがいいたします。

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金谷

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