花山院

台風一過でだいぶ熱いですね。
つぎは熱中症などにお気を付け下さいね。

さて。『大鏡』について。今晩は、ついに帝をご紹介。
『大鏡』は最初、「帝紀」と呼ばれる歴代の天皇のことを語るところからお話が始まります。
なので、こちらの『大鏡』も歴代の天皇が続々と出てきます。

本当に、いろいろと悩んだのですが、帝たちも俳優さんたちに演じてもらうことにしました。
これによって私の、あるいは俳優さんの何かの思想があったりとか、そういうわけではないということはちゃんとお断りしておきます。

なので、ここでもちゃんと登場人物としてご紹介しておきます。
道長さんがまだ、17歳くらいの時に主君としてお仕えしていた、「花山院」を、今日はご紹介。
第65代天皇。花山院や花山法皇とも呼ばれます。「院」や「法皇」がつく方は、出家をした方ですね。
古典の授業で『大鏡』をやるときによく教科書採用されている箇所の一つ、前にご紹介した時平伝とおなじくらい良くあつかわれる「花山天皇の出家」のお話で覚えている方も、いたりして?

この帝は、道長さんのお家の人たちに騙されて、帝位を退位した方です。
道長さんのお父さんの兼家さんが、策略をめぐらせて、この帝を退位に追い込んだというお話が、「花山天皇の出家」

天皇を出家させるなんてそんなことしていいの?という感じですが、この時代には実は良くありました。
むしろこういうことの繰り返しで、平安時代は作られていきました。

平安の時代には、帝は政治のトップでありました。
帝と、政治家さんたちが協力して「政治」というものを行っていたのです。
でも、色んな人が集まっていればいろんな考え方がある。色んな状況がある。
帝というトップの存在をどう支えていくかが政治家さんのやるべきことでもあったし、帝という存在とどう向き合っていくかということが政治家さんたちの問題でもありました。
こういう部分が、「策略」と呼ばれる部分なのかと。

道長のお父さんの兼家さんも、いろいろ考えておりました。何を一番にかんがえて、花山天皇を退位させたのか。
なんでこんなことしなくちゃならないのか。こちらの『大鏡』ではそういうことも少し、考えています。

そして、帝は帝でどう思っていたのか。考えていたのか。

花山帝の場合、じつはこの方いろいろと噂の多い帝だということもお伝えしておきます。
けっこう、スキャンダラスな帝です。調べると続々出てきます。
『大鏡』では、帝だからすごい!えらい!すばらしい!ばかりでなくて、帝の存在も客観的に描かれています。

それでは、私が台本から泣きながら台本からカットした花山帝と道長さんたちのお話をここで引用しておきましょう。長いよ!↓

花山院の御時に、五月しもつ闇に、五月雨も過ぎて、いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、帝、さうざうしとやおぼしめしけむ、殿上に出でさせおはしまして、遊びおはしましけるに、人々物語申しなどしたまうて、昔恐ろしかりけることどもなどに申しなりたまへるに、

「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだに、気色おぼゆ。まして、もの離れたる所など、いかならむ。さあらむ所に、ひとり往なむや。」
と、仰せられけるに、
「えまからじ。」
とのみ申したまひけるを、入道殿《道長》は、
「いづくなりとも、まかりなむ。」
と申したまひければ、さるところおはします帝にて、
「いと興あることなり。さらば行け。道隆は豊楽院(ぶらくゐん)、道兼は仁寿殿(じじゆうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿(だいこくでん)へ行け。」
と仰せられければ、よその君達(きんだち)は、
「便(びん)なきことをも奏してけるかな。」
と思ふ。

また、承らせたまへる殿ばらは、御気色(みけしき)変はりて、
「益(やく)なし。」
とおぼしたるに、入道殿はつゆさる御気色もなくて、
「私の従者(ずさ)をば具しさぶらはじ。この陣の吉上(きちじやう)まれ、滝口まれ、一人を『昭慶門まで送れ。』と仰せごと賜(た)べ。それより内には、一人入りはべらむ。」
と申したまへば、
「証(そう)なきこと。」
と仰せらるるに、
「げに。」
とて、御手箱に置かせたまへる小刀(こがたな)申(ま)して、立ちたまひぬ。
いま二ところも、苦む苦むおのおのおはさうじぬ。
「子(ね)四つ。」
と奏してかく仰せられ議するほどに、丑(うし)にもなりにけむ。
「道隆は、右衛門(うゑもん)の陣より出でよ。道長は、承明門より出でよ。」
と、それをさへ分かたせたまへば、しかおはしましあへるに、中の関白殿《道隆》陣まで念じておはしましたるに、宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術(ずち)なくて、帰りたまふ。
粟田殿《道兼》は、露台の外(と)まで、わななくわななくおはしたるに、仁寿殿の東面(ひむがしおもて)の砌(みぎり)のほどに、軒(のき)と等しき人のあるやうに見えたまひければ、ものもおぼえで、
「身のさぶらはばこそ、仰せごとも承らめ。」
とて、おのおの立ち帰りたまへれば、御扇をたたきて笑はせたまふに、入道殿は、いと久しく見えさせたまはぬを、
「いかが。」
とおぼしめすほどにぞ、いとさりげなく、ことにもあらずげにて、参らせたまへる。
「いかに、いかに。」
と問はせたまへば、いとのどやかに、御刀に、削られたる物をとり具して奉らせたまふに、
「こは何ぞ。」
と仰せらるれば、
「ただにて帰り参りてはべらむは、証さぶらふまじきにより、高御座(たかみくら)の南面(みなみおもて)の柱のもとを削りてさぶらふなり。」
と、つれなく申したまふに、いとあさましくおぼしめさる。
こと殿たちの御気色は、いかにもなほ直らで、この殿のかくて参りたまへるを、帝よりはじめ感じののしられたまへど、うらやましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞさぶらひたまひける。
なほ疑はしくおぼしめされければ、つとめて、
「蔵人(くらうど)して、削りくづをつがはしてみよ。」
と仰せごとありければ、持て行(ゆ)きて、押しつけて見たうびけるに、つゆ違(たが)はざりけり。
その削り跡は、いとけざやかにてはべめり。
末の世にも、見る人はなほあさましきことにぞ申ししかし。

原文です。いかがでしたでしょうか。花山帝と、道長さん。そして、道長さんのお兄さんたち道隆さんと道兼さんが出てきます。
何しているか、わかりましたでしょうか?

答えはまた次回。

そして、そんな花山帝を担当しますのが、我らが平澤萌花

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青山ねりもの協会の産みの親です。ずっと一緒にやってきました。

もえちゃんはずっと一緒にいすぎて、なんだかもう知らないことなんてないんじゃないかと思っていましたが、実は彼女については知らないことだらけだったということに最近気づきました。
でも、ちょっとづつ、彼女の好きなところとか、嫌いなところとかが最近何となくちゃんとわかってきて楽しいです。それを含めて私が心から愛している人のひとり。
鹿みたいな顔しておっさんぶっていますが、繊細で、いわゆる女性としてちゃんとモテる方なので一緒にいると私の女子力のなさに落ち込みます。そしてすげー勉強になります。
彼女も外部で出演していると、ちょっと陰のある美人みたいなのをやっているのをよくみるのですが、青ねりだと全然かわいくない。こわい。妖怪みたい。佐々木さんとともに怖さに磨きがかかってしまっています。もうどうしたらいいんだろう。
最近これ以上痩せちゃうの!?ってくらい痩せててとても心配なのですが、よくうんこしたいって言ってるのでたぶんまだ大丈夫。

でもやっぱりちょっと心配なのでなにか栄養のあるものを差し入れをおまちしております。
『大鏡』もうすぐです。
チケット予約はHPトップから専用予約フォームよりご予約できます。

それでは。今日はこれにて。おやすみなさい!

金谷

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