『こころ』のこと4

昨日は良い誕生日を迎えました。雪もふったし。お祝いして下さった方々本当にありがとうございました。毎年幸せなので次こそ何か起こるんじゃないかと毎年不安ですが、毎年無事に大きくなっております。感謝感謝。

それでもって日にちも近付いてまいりました。授業企画。
お悩みの方は是非思い切ってご参加いただけるとうれしいです。授業なので学生時代のように寝ててもかまいませんので。私は必要な時以外は起こさないタイプだぜ!

そんなわけで『こころ』について。四回目。

今日は『こころ』のキーマンである「K」という登場人物について少しだけ。

授業でやる部分でもろに活躍(というか、なんというか。)してくれる「K」と言う人。
「先生の友人」とこの前ご説明した人です。作中では「K」という表記で登場します。
この方がちゃんと出て来るのは下の中盤くらいからなので分量としては少ないのですが、彼は『こころ』のドラマの担い手であります。

そんな彼は僧侶の息子(浄土真宗)。「先生」と同郷らしいのでたぶん同じく新潟辺りの寺の息子です。大学も「先生」と同じ。ちょいと複雑なのですが、「K」の場合、彼は僧侶の息子なのですが、親戚の医者の家の養子になっているので、医者になる勉強をするために東京の大学にきました。が、「先生」とつるんでいたためだかなんだかしらないのですが、「先生」が学んでいた哲学をやりたくなって、医者の勉強をやめてしまいます。
それが原因で色々ご実家や養子の家と大変になり、お金がなくなり、生活が苦しくなり…と、「K」は自分の進む「道」のために色々苦労します。

「道」というのが、彼のキーワード。彼を象徴する言葉になります。
これだけだと、ただの夢見る大学生みたいですが、「K」はそんなもんじゃない。それのもっとつきぬけたバージョンかと思います。上手くいえないのですが、

ではここで『こころ』名シーン(個人的)の一つである、「K」の数珠を数えるシーンを御覧ください。

「Kと私は同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる金で、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平気でした。
 最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉とじ籠こもっていました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でしたが、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。私はその時彼の生活の段々坊さんらしくなって行くのを認めたように思います。彼は手頸に珠数を懸けていました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味は私には解りません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても終局はありません。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰る手を留めたでしょう。詰らない事ですが、私はよくそれを思うのです。
 私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお経の名を度々たびたび彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例しもなかったのですから、ちょっと驚きました。私はその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難ありがたがる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言葉に大いなる興味をもっているようでした。…」

今読み返して思ったのですが、村上春樹氏の「納屋を焼く」のみかん剝きのシーンを思い出しました。なんでやろ。手もとのクローズアップ感かしら。
はじめてこのシーンを読んだときは「K」カッコいい…!思ったものです。いや、伝わらなくて結構。

寺の家に生まれたからなのか、彼は宗教的なものにとても心を寄せていたようです。そりゃ哲学やりたくなるよね。
「先生」と宗教について、哲学について談義することもしばしばあり、本当に、昔の学生さんってみんなこんなだったのかなあとかすごく思います。や、「K」はちょっとやっぱ変わってる感じがすることぐらいはわかりますが。でも、自分の学んでいることについて語れる力を持っているってところに本当に憧れます。私も話したいし、話そうとするけれど、なんだか自信が無いもの。

で、「K」の性格についての描写はもっともっとあるのですが、言っちゃえば、彼は恋愛なんかべつにしてる暇などなかったのです。だって勉強がしたいってことしか本当にでてこない。

でも、「お嬢さん」に恋をした。

それを見て、「そりゃ恋はするよね。にんげんだもの。」と思うか。それとも、「恋しちゃったのか…」と思うかで、『こころ』の読み方って結構変わってくると思います。

ちなみに、「K」にはモデルがいるそうですよ。一説だと、清沢満之(きよざわまんし)と言う方。漱石先生と同時代を生きた宗教家です。漱石先生とも交流があった(というか、大学の先輩だった。)というお話を聞いたことがあります。
宗教・哲学を学んでいらっしゃる方には有名な方かと。
まあ、登場人物をモデルにとることなんてどんな作家にも多々ありますが、なんでか知らないけど、モデルがいたんだ話はどんな話でもやっぱりへえーってなりますよね。

そんなわけで、今日もバラバラな感じですが、これでおしまい。

皆さまのご予約を待ちながら、おやすみなさい。

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金谷

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