『こころ』のこと1

二月になりました。
一月もいろいろ観に行ったり、いろいろやったり、やることになったりしていたのですが、

とてもとても理不尽なことが起きて、ご報告する気力が失われておりました。
久しぶりに世の中とか神様とかそんなでかいものに対して恨む気持ちが湧いている。
しかし、色んな人に会ってなんとか落ち着いてきましたので、

とりあえず目の前のやることにむけて。『こころ』のことをちょこちょこ書くことをお約束したので、書いていきます。

今回、授業としてやろうとしているのは、夏目漱石の『こころ』です。本当は旧字で、『こゝろ』と書きます。1914年(大正3年)の4月に朝日新聞で発表し、9月に本として出版されました。
授業では、だいたい高校二年生あたりで扱う教材だと、思います。教科書ではわりと定番な教材なのではないでしょうか。
『こころ』は上中下の三部構成で、教科書に載っている箇所は大体、下の一部分。本当は全部読もうとするととっても長い作品です。今は青空文庫などでも読むことができます。

こちらでは授業で恐らく話せない諸々を。今日は、『こころ』の構成について。

実は、『こころ』は初出の朝日新聞に掲載されたものと、出版されたものは全然違う。

漱石先生自身、単行本の序文にこんなことを書いております。↓

『心』は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
 当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇丈を単行本に纏めて公けにする方針に模様がへをした。
 然し此『先生の遺書』も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを『先生と私』、『両親と私』、『先生と遺書』とに区別して、全体に『心』といふ見出しを付けても差支ないやうに思つたので、題は元の儘にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈が、新聞に出た時との相違である。(略)
 
(『心』自序より)

当時、漱石先生はすでに売れっ子の小説家さんです。新聞に連載している小説だったので、色々と大変だったようです。題名も『心』・『こゝろ』ところころ変わったりしています。

『こころ』はざっくりいうと、「先生」という登場人物の過去と現在の時系列で語られるお話なのですが、
三部構成の上・中では、「先生」と出会った「私」という登場人物の視点で、現在の「先生」のことが描かれていきますが、教科書掲載の下では、『先生と遺書』というタイトル通り、「先生」が書いた長い長い手紙(というか、「先生」の遺書)の文で、「先生」が自身の過去を語るという構成になります。
読んでいると、本当に文体が下でガッと変わるので、私は、「大胆だなあ」とおもったりしておりました。たぶん当時でも割と斬新な構成だったのではと思っていたのですが、どうなんでしょう。

数種の短編のつもりで書いた文章がこんなに長いことになるとは。で、これをまとめたとは。馬鹿みたいにしか言えないのですが、本当にすごいなあと思うのです。上手くまとまっているかどうかは私には判断しかねますが。
じっくり読むと、短編の名残も残っている感じもするし、構成する上で苦心した感じももなんとなく感じられるような。気がするんです。

朝日新聞に載っていたのはこの下の部分がメイン。単行本ではこの下の部分が文字通りクライマックスにきますので、朝日新聞のころから読んでいた読者にはどんなふうに映ったのでしょう。

私は漱石先生の作品は好きなので、主観では色々あるんですが、伝えるのは大変だ。長いので今日はこれでおしまい。
読んだことない方には良く分からない話ですみませんでした。
とりあえず、『こころ』が長いことをわかっていただければ結構。

そしてこれを五回でこれからやらねばなりません。ぶっちゃけ足りません。
はたしてできるのか。なんとかこちらも皆さまも消化不良にならないところまでは行きたいと思っております。

といいながら、私は今『三四郎』を読んでいます。

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ストレイシープ!

それでは。お休みなさい。

金谷

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